通州事件(1)

左翼はよく「歴史を学べ」と主張するが、歴史上の重要な事件が隠蔽されているとしたら、一般の人は正しい学習が出来るだろうか?

通州事件は支那事変の帰趨に大きな影響を与えた重要な歴史的事件であるが、教科書には記述がなく、メディアで紹介される事もない。このため、普通に勉強していたのでは知る機会のない事件であり、個人のブログやホームページに細々と記述されている程度である。

通州事件は1937年7月29日、北京郊外の通州の日本人居留地において、中国兵が日本人と朝鮮人の一般市民約200名を惨殺した事件である。その殺害方法は極めて残虐で、妊婦を含む女性や乳幼児までもが、猟奇的な形で中国兵に虐殺された。

この虐殺事件については、内容があまりにも凄惨なので詳細は私のブログには書きたくない。当時、この事件が日本国内に与えた衝撃は相当なものであったろう。反支那感情は悪化し、その後の戦線拡大における国内世論形成に大きな影響を与えた事件であった。

この事件は、今日ネット上で「再発見」されるようになり、日本の右傾化に影響を与えている。私も通州事件については知らなかったが、初めてこの事件について知った時には強い衝撃を受けたものだ。

ただ、奇妙な既視感を感じていた。虐殺された屍体の写真に何か見覚えがあったのだ。子供の頃、実は通州事件については本か何かで学んだが、記憶には残らず、大人になって初めて知ったかのように感じているだけだったのだろうか。

天皇と護憲

子供の頃に身についた信念というものは、その人の人格の一部となり、容易に否定できるものではない。私の場合、それは天皇観である。すっかり右翼となってしまった今でも、天皇に「陛下」をつけたり、皇室に殿下やら妃などの用語には違和感を感じる。例えば友人同士の何げない会話の中で、人が皇室を尊重するような話を始めると本能的に話題を変えようとしてしまう。

理由はもちろん、共産党一家に育ったからだ。赤旗を読み、共産党の書籍に目を通し、共産党員の親の話を聞いていたため、天皇と言えば、昭和天皇の戦争責任や明治憲法下の封建制度、そして共産党弾圧などの人権侵害を連想するようになってしまったのだ。もちろん、共産主義の観点からは天皇制は平等の精神に反するものであり、そもそも否定すべきものだった。

当時、私は平和憲法を守れという共産党の主張は正しいと思っていたが、天皇制については憲法改正すべきだと感じていた。反天皇制なのに護憲というのは共産党の矛盾だとは気がついていたが、日本人の大半が天皇を支持している状況では、ある程度妥協も必要なのだろうと納得していた。

靖国神社に参拝するようになった今でも、その対象は祖国のために闘った人々であり、天皇ではない。共産党シンパから反共に転じた私ですらそうなのだ。日本共産党が象徴の形であれ、天皇を肯定する事はあり得ない。

象徴天皇も支持し、憲法9条も支持する本当の意味での護憲派はむしろ自民党の中にいるのではないだろうか。すくなくとも、日本共産党が本心から天皇について定めている現憲法を死守しようと考えているのではない事は確かである。

護憲というウソ

子供の頃、家の本棚は共産党関連の書籍で埋まっていた。ほとんどの本は、中身は難しくて理解できなかったが、新書版サイズの薄い本の事を良く覚えている。

それには共産党の綱領が書かれていたが、同時に「日本人民共和国憲法」が収められていた。幼い私は、これこそ日本の正義と思い、一所懸命に読んだものだった。

ある時、日本共産党は護憲政党なのに、何故独自の憲法制定を目指しているのだろう、と疑問が湧いた。だが、その疑問は自分の心の中ですぐに正当化されることになる。理想としての日本人民共和国を実現するためには、現憲法を右翼の望む姿に改悪させない必要がある。理想から遠ざからないためにも、現憲法は死守する必要があり、将来的に共産党が政権を取ってから人民共和国を実現すれば良いのだ、と。

随分後になって、日本共産党は人民共和国の憲法を公的には放棄していた事を知る。しかし、共産党一家に育ち、父親から共産主義について聞かされてきた身からすると、日本共産党が護憲である、という点については強烈な違和感を感じる。

共産党が目指す国家像は現行憲法の下に築かれた資本主義社会ではない。共産党の理念を実現するには、憲法改正は不可欠である。
だから、共産党の護憲、というのは真っ赤なウソである。一番分かりやすいのは天皇に関する条項だ。次回は、それについて記述する。

右傾化への第一歩~従軍慰安婦問題(2)

河野談話の後、従軍慰安婦問題の証拠の類は国内で地道に検証され、元従軍慰安婦の証言に信憑性がないこと、慰安婦は強制ではなく高給で募集されたこと、日本が強制的に婦女子を慰安婦として連行した事実はなかったこと、等が明らかになった。韓国側の調査でも元従軍慰安婦の証言に信憑性がない事も明確になり、従軍慰安婦問題は虚構であるという結論で日本ではこの問題は沈静化し、国民の関心も薄れていった。

一方、国内で完全に論破された日本の左翼であるが、この問題を国連の場に持ち込み、国内では否定された証拠を用いて活動を続けた。1996年、国連人権委員会では左翼や韓国の主張が認められ、慰安婦を「性奴隷」と判断した「クマラスワミ報告」が出され、国際社会においては左翼側の従軍慰安婦問題が定着する事になる。

この時代、日本人の大半は「もう謝罪したのだから良いだろう」という感覚だったろう。従軍慰安婦問題という重いテーマに関心も持つのは嫌なものだし、深夜のテレビ討論を見たりこのテーマの本をわざわざ買うのも、一部の日本人だけだったのではないだろうか。

河野談話と同じ年の1993年、NCSA MosaicというWorld Wide Web閲覧ソフトが登場し、90年代後半にはインターネットを通した情報発信が普及し、Google検索サービスも開始された。2000年代には「2ちゃんねる」が巨大化し、テレビや本がなくても様々な情報に触れる事が出来るようになった。

今日では従軍慰安婦問題については、インターネット上の様々なホームページで完璧な情報を入手できる。左翼の人間も、勇気を持って右翼が作ったホームページを閲覧すれば、真実が分かるはずである。例えば以下のような真実だ。

  • 朝日新聞の悪質なキャンペーン
  • 福島瑞穂など日本人左翼の暗躍
  • 元従軍慰安婦による矛盾だらけの証言
  • 朝鮮人業者による朝鮮人婦女子の拉致・誘拐 など

さらに従軍慰安婦問題に入り込むと、終戦直後に発生した次のような事実も知るようになる。

  • 満州や朝鮮半島における朝鮮人による日本人女性への暴行、強姦
  • 国内における在日朝鮮人による日本人女性への暴行、強姦
  • アメリカ兵による日本人女性への暴行、強姦

一般的な日本人が以上のような実態を知るにつれ、思想が右傾化していく事は仕方がない事なのである。

右傾化への第一歩~従軍慰安婦問題(1)

月日が経つのは早いもので、従軍慰安婦問題が世に出てから約40年になる。

この問題は、日本軍あるいは日本国政府が朝鮮人の女性を強制的に売春宿(慰安所)に連行し働かせていた、と一部の日本人が主張し始めた事に端を発する。1973年には千田夏光の『従軍慰安婦』が出版され、10年後の1983年には有名な吉田清治の『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』が出版された。そしてその10年後の1993年にはいわゆる河野談話が発表された。そして、今年(2013年)はそれから20年の節目にあたる。

ネットで定説となりつつあるように、従軍慰安婦問題を拡大させたのは1992年の朝日新聞の悪質な記事である。宮沢喜一首相の訪韓直前の時期を狙い、日本国内での悪徳業者を取締りを指示する文書を、あたかも日本軍が朝鮮半島で朝鮮人女性を強制連行した証拠であるかのような記事を掲載したのである。

当時、多くの日本人がこの記事に騙された。私もその一人であり、日本軍が朝鮮人女性をセックス目的に強制連行した決定的証拠だと思ったものだ。その後、宮沢首相は韓国に謝罪を繰り返したが、当然だと思った。

日本人は正直な民族である。事実の前には全く弱い性格であり、決定的証拠があれば、弁解する気力は一気に萎えてしまう。そう、当時の日本は罪悪感の前に、ただただ恥じ入るだけで、相手の許しを乞うしかない状況であった。

宮沢首相による謝罪(この時点では強制連行の事実は確認していない)の翌年、河野談話が発表され、日本国政府が正式に慰安婦の強制連行を認めた形となった。一方、政府の調査結果では日本軍や官憲による強制連行の証拠は見つからず、論争の場は国内の言論界、そして国連へと移っていく事になる。

日本人は正直な民族である。証拠もないのに、相手をなだめるためにウソの謝罪をする、これはこれで苦痛である。しかも、結局は相手はなだめられなかったのである。証拠のない話に日本人が怒り始めた。従軍慰安婦問題は河野談話では収まらず、かえって世界中に拡大、拡散していく結果となってしまったのだ。

(続く)