河野談話は日本が想定している範囲内で解釈される事はない

6月20日、政府は河野談話の検証結果を国会に報告したが、報道された内容で見ると、河野談話の作成過程で韓国と文言の調整が行われたという程度の話であり、談話の元になっている出来事についての事実関係は触れていない。

この河野談話というのは、韓国側が広く流布している旧日本軍によるオカルト的な行為を直接認めたものではない。しかしながら、多くの日本人が河野談話自体を読む事なく、「旧日本軍が韓国人女性を強制的に慰安婦として拉致した事を認めたもの」と漠然と理解しているように、韓国人の多くも談話そのものが語っている内容を超えて、日本が韓国の主張する内容を認めたもの、と理解している。

韓国側が主張する内容というのは、日本が20万人の韓国人女性を強制的に拉致して性奴隷として扱ったというものであるが、その他にも世界中に宣伝している内容も含まれる。その中には、日本軍が女性の身体を切り刻んだとか、残虐な方法で殺害してその肉を食べたとかいうオカルト的な話もある。

つまり、日本側が河野談話を継承するという事は、その談話では触れられていないような無茶苦茶な話まで同時に認めるという事になってしまっている。日本側がいくら、河野談話が認めている範囲はこれこれこの範囲ですよと主張しても、全く通用しなくなっているのである。

そもそも河野談話の根拠自体が間違っているのだが、両国の友好のためこれくらいなら認めても良いだろうとする安易な発想が、あたかも旧日本軍が猟奇的な集団であったとする出鱈目まで肯定する結果となり、多くの日本人を苦しめているのである。

反日国の捏造した歴史に、一部だけは認める、という安直な外交では、いつまでも捏造を否定する事は出来ない。日本国政府は、国民のためにも河野談話を明確な形で破棄すべきである。

安倍首相の靖国神社参拝

2013年12月26日、安倍首相が靖国神社を参拝した。国内の主要メディアは批判的に報じ、海外メディアでも批判的な論調が目立つ。中国・韓国の反発は予想されている通りであるが、今回はアメリカまでも「失望」を表明している。

国内メディアは、あたかも靖国神社参拝が戦争準備であるかのごとく報じており、安倍政権へのダメージとすべく、例によって無茶苦茶な論理で攻撃を続けている。これは靖国神社参拝を政治問題化する事に成功した左翼勢力の勝利の一つと言える。

私は、今ではすっかり右翼になったので、靖国神社参拝は強く支持している。ところが、昔、共産党シンパだった頃は靖国問題をどう考えていたのかというと、どうにも思い出せない。子供のころは熱心に赤旗新聞を読み、共産党員だった父親の正義感溢れる政治の話に耳を傾けていたものだが、どうにも靖国神社というのは、転向前の私の信条には関係の無い存在だったようだ。

そもそも、靖国神社に首相が参拝するというのは、特殊な事ではなかった。歴代の首相は頻繁に参拝していたし、ある時期までそれが問題となる事はなかった。それが、どうして今日のように政治問題化してしまったのか。

これは、国内左翼の執拗な靖国否定と、自らの目的達成のため中国・韓国に自民党を攻撃させるいつものやり方が実った結果なのだが、実は公明党が果した役割も大きい。自公政権が定着するなか、公明党が抑止してきたため、近年の首相は靖国に参拝する事が出来なかった。永く首相が参拝しない時期が続いたため、国内外の注目を浴びるようになり、国内のみならず世界を巻き込んだ政治問題と化したのである。

首相は、今後とも靖国に参拝すべきである。

レーガン大統領暗殺未遂事件

これは随分昔の、子供の頃の不思議な思い出である。

その日、一日中自宅にいた私はテレビのニュースでレーガン大統領が銃で狙撃された事を知った。酷い話だと思った。その時には、「いかなる理由であれ暴力は許せない」という、子供らしい真っ直ぐな、非常に正直な感想を持ったものである。

夕方になって、母親が買い物から帰ってきた。母親は玄関を開けて家に入るなり、「レーガンが殺されたんだって!」と声をあげ、居間にあたふたと入り、テレビをつけ、夕刊を読み始めた。私は母親のうれしそうな、喜んだような声に非常な違和感を感じ、母親が夕食の準備もそこそこにテレビや新聞を見る姿に当惑した。

しばらくして父親が帰ってきた。声こそ小さかったが、言ったこと、やった事は同じであった。私はレーガンの狙撃について、「暴力で自分の意見を通そうなんて、絶対に許せない」という、通常なら父親が絶対に褒めそうな事を言いたかったのだが、両親の態度を見て意見表明を留保し、何もなかったように過した。

その日の晩飯は、まるで通夜のようであった。レーガン大統領は一命をとりとめ、どうやら助かりそうだというのだ。その奇妙な雰囲気は理屈では理解出来なかったが、世の中には「暴力反対」などという正義だけでは成立しない、複雑な何かがあるのだろうと、そのような感じの事を考えながら晩飯を済ませ、早々に部屋に引き上げた。

両親の不可解な態度を理解出来たのは、それからしばらくしてからである。レーガン大統領は所謂タカ派であり、中曽根康弘などと同様、日本共産党の敵なのだ。しかしそれでも違和感は残った。普段から「暴力は悪だ。戦争は暴力だ。そして自衛隊は暴力のための悪だ」などと言っていた父親が、レーガン狙撃を非難するのではなく、むしろ生還した事に失望していたのだから。

今となっては、当時の両親の態度は完全に理解出来る。そう、つまり、それが共産党員の正体なのである。共産党の正義は、支持を得るための詭弁に過ぎない。多くの正義感ある日本人が、騙されてきているのである。私は共産党が何か正義の発言をするたび、あの日の事を思いだすのだ。

なお、レーガン大統領暗殺未遂事件は1981年3月30日の出来事である。

憲法9条という経典

共産党は、自衛隊が嫌いである。共産党だけではなく、左翼は一様に自衛隊に対して否定的で、災害時の自衛隊の活動すら苦々しく思っている連中である。

左翼が自衛隊を嫌悪するのにはいくつか理由がある。

第一に、旧日本軍が戦時中に一般市民を虐殺してきたという左翼自身の主張の延長で、旧日本軍の生まれ変わりとしての自衛隊も同じような野蛮な集団だと思い込んでいるためである。実際には旧日本軍は規律が厳しく、国際法を遵守してきたのだが、左翼は軍事に対する嫌悪感から、戦争中の従軍記や戦記ものはあまり読まないため、そのような話は右翼の妄想として片付けてしまう。逆に戦争中の支那・英米による対日プロパガンダや戦後の朝鮮・韓国による捏造をそのまま信じ込み、日本軍は極悪非道であったという偏見が意識に刷り込まれている。このため、同じ嫌悪を自衛隊にも持ち込んでいるのだ。

第二に、憲法9条に対する盲目的信仰が理由である。左翼の思考回路としては、憲法9条改正に繋がるいかなる動きも徹底して拒絶する傾向にある。自衛隊が国民の支持を得る事が、改憲への支持に繋がる事を極度に恐れているのだ。

この発想は、尖閣や竹島、北方領土に対する考え方にも影響している。領土を巡る軍事的緊張が改憲への道となる事を恐れるため、「辺境の小さな島ぐらい譲ってやれ」等という暴論を平然と主張するようになる。憲法9条のためなら、他国に侵略されても日本の主権が犯されてもかまわない、と思っているのである。また、日米安保に対する姿勢も同様だ。米軍への協力が憲法改正の理由になる事を恐れている。

本来は平和的解決が原則としてあって、そのために憲法やら法律、軍隊を論じるべきなのに、左翼の場合は憲法9条が神聖不可侵のものとして存在し、護憲を最大の目的として国際関係やら国内政治を論じているのである。

上記の二点は極論な左翼像ではない。実際に、かつて共産党シンパだった私自身が若い頃に有していた思考回路である。両親もそうだったし、毎日のように読んでいた赤旗新聞もそのような論調であった。

第三の理由としては、自衛隊を貶める事が中国の利益になる、という点である。さすがにこの発想は私にはなかったが、左翼の中には完全に中国の利益のために活動している連中もいる事は確かである。

通州事件(2)

通州事件は、1937年7月29日に、日本人一般市民が支那兵に虐殺された事件である。ネットで、その猟奇的な屍体の写真を見た時はゾッとしたものだが、どこかで見た写真だと感じた。理由はすぐに分かった。通州事件の屍体写真は、中国側には、南京大虐殺の証拠写真として扱われていたのだ。

我が家は共産党一家で、共産党関係の書物が沢山あったので、その中で通州事件の写真を見たのであろう。ただ、日本共産党がそのようなバレたら大変な事になる捏造をするとは考えられず、おそらく一緒にあった左翼の人間が書いた書物にあったものだと思う。

この事件の「発見」は、多くの日本人にとって右傾化のきっかけになるのではないだろうか。第1に事件の異様さから、支那事変に対する認識が変化する。次に、日本人が被害者となっている写真を南京大虐殺の証拠として採用している中国人の卑劣さに憎悪が生じる。そして第3に、中国側に同調する左翼の姿勢に嫌悪するようになる。最後に、このような重要な歴史を教えない日本の歴史教育に疑問を持つようになる。

最後の点については、残念ながら、教育界から左翼が一掃されたとしても通州事件が教科書に載る事はないだろう。あまりにも猟奇的・残虐で、子供の教育上問題があるからだ。一方で中国では、通州事件の写真を日本軍による中国人への虐殺として子供にも反日意識を植えつける事は続くだろう。