親中・平和主義者の顔に泥を塗る中華人民共和国の侵略癖

インドの初代首相ジャワハルラール・ネルーは社会主義思想の持ち主であったが、東西冷戦の時代にあって非同盟・中立を掲げ、1949年には成立直後の中華人民共和国を国家承認し、1954年には中国との間で「平和五原則」を結んだ。西側諸国の多くが中華民国(台湾)の方を正式な国家として扱っていた時代の事である。

ネルーはもともと親支那の人間であった。彼は1939年の一時期、支那に滞在しており、その思いを強くしたようだ。インドと同じく列強の植民地となっているところに同情したのであろうか。社会主義的な思想が影響したのかもしれない。逆に日本に対しては帝国主義、ファシスト国家として批判的であった。

さて、上記の平和五原則の中では領土・主権の相互尊重が謳われており、そこでは当然ながら領土問題の合意が前提となる。中印両国の間で懸案となっていた領土問題はアクサイチンと呼ばれるカシミールの東側の地域と、チベット南部の地域だ。ネルーはアクサイチンをインド領に含む地図を中国側に贈呈し、平和五原則を締結した。

しかし中国は1956年にはアクサイチンに道路建設を開始し、1958年には地図にアクサイチンを中国領として記載する。これは1962年の第一次中印戦争の要因ともなるが、戦争の結果、この地方を中国が実効支配することになった。

ネルーは平和主義者であり、成立したばかりの中国を国際社会の中に受け入れさせる上で一役買ったが、結局裏切られて領土を侵食されたのだ。

平和主義者を取り込み、平和と友好を実現すると即座に裏切って侵略をする。そして実効支配を既成事実化して後、また平和攻勢を仕掛け、次なる侵略の準備を進める。これが中華人民共和国の姿であり、不思議なことに、みんな知っているのに、みんな騙されるのである。