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日本人の民度に期待するな

FNNと産経の世論調査で、データの不正入力が発覚した。世論工作のための意図的捏造ではなかった事を望むが、真データと不正部分との第三者による比較などにより、単なる調査員のサボリである事を証明する必要があろう。

昨年(2019)、経済産業省の商業動態統計調査で、調査員の不正処理が発覚した。事業所に確認する事なく、自分で調査票に数値を記入していたのだ。

このような統計調査に不正はつきものだ。街角のアンケート調査でも調査員にコミュニケーション能力が無ければ無視されて誰も答えてくれない。監督の目が届いていないと分かっていれば、不正もしたくなるだろう。

信頼できる調査会社であれば、内部統制がしっかりしている。それは、調査員は必ず不正するという前提で組み立てられた管理体制である。

私は、日本人が他民族に比べて正直で誠実であると断言する。例えそれが他民族に対する差別思想だと言われてもその主張は曲げない。しかしながら、それはあくまで平均値であり、平気で不正する者が多数存在する事は否定しない。

武漢コロナウイルスへの対応で日本の緊急事態宣言は自粛要請が原則で国民の協力に期待するものであったが、経済活動とのバランスが絶妙で、それはそれで正解であった。一方で帰国者に対する自粛要請は機能せず、一部の者達が市中にウイルスを撒き散らす結果となった。

もし今回よりも強力なウイルスが発生した場合は、今回のように国民の自主的協力に期待する事は無理である。ほんの一部でも非協力者がいる場合は蔓延を防げないからだ。

日本人の民度とは平均の話であり、大半の人が協力すれば成功するような政策には有効であるが、協力しない者が一部でもいる場合には失敗するような政策には有効ではない。残念ながら世の中には不届き者がわずかに存在するだけでだめになってしまう事の方が多いのである。

 

武漢コロナウイルス感染者の国籍非公開を続ける歪んだ人権意識

厚生労働省は都道府県から集めた感染者情報を公表しているが、現在国籍分類が不明な状況である。外国人差別を助長するという極度に歪んだ人権意識が理由だ。また、感染者を国籍別に分類すること自体に意味がないのだという、恐ろしい程に間違った論理で国籍隠蔽を正当化している。

アメリカで黒人の武漢ウイルス感染率が白人より高いという事実は、感染者の属性として人種が情報にあったからこそ判明したものだ。人種別の統計を取る事により、感染拡大の要因に所得や住環境、公共交通の依存度などの要因につき分析が可能となり、感染対策の課題を整理する事が可能となった。

アメリカでは最近、黒人警官が殺した白人の人数が○○で白人警官が殺した黒人の人数が××といった犯罪に関する人種別の詳細な指標が度々メディアに登場している。これは当然、警察統計に人種情報が記録されているからであり、これがなければ人種差別問題の取り組みも出来ないだろう。

厚生労働省のHPを普通の感覚で見れば、感染者に占める外国人の割合が極めて高いというデータとなっている。このため日本の税金で多数の外国人が治療を受けているとか、日本で治療を受けるために感染した外国人が入国している、などという話がネットで登場した。これをデマと言う事は出来ない。データを先入観なしで見れば、外国人の割合が高いという結論になるのだ。

実際には国籍不明なのは日本人が大半なのだが、そもそも日本人と外国人を区別する事に意味がないという極端な左翼思想のために無用な誤解が生じているのが現状だ。隠蔽すればするほど陰謀論は拡大し、それが差別を生みだすのである。

日本が感染拡大を一定のところで抑える事が可能であったのは、検査を感染経路に絞った方針が功を奏したからであるが、日本人特有の事情があるのではという説もある。

DNA分析によると、弥生人には長江流域から来た人達の系統であるが、長江流域の人達はベトナムにも移動している。ベトナムは感染拡大を抑え込む事に成功している国であるが、ひょっとしたらDNAの関係があるのかもしれない。

感染者の属性情報は、今後到来が予想される第二次感染拡大に備えてどのような対応をすれば良いのかを検討する上で非常に重要な情報である。性別・年齢・喫煙歴といった情報だけではなく、国籍・人種・宗教など、遺伝子レベルから生活習慣レベルに至るまでのビッグデータを整理し、個人を特定しない範囲で国民に提供する必要がある。

情報が隠蔽された中で、専門家や評論家、コメンテーターなどがあれやこれや自説を開陳しても時間と労力の無駄であるばかりか、感染抑制に有害ですらある。

 

政治的偏向以前に公衆衛生の技術力自体が無いWHO

WHOは武漢コロナウイルスの感染拡大で中国共産党寄りの姿勢が鮮明であった。これは誰が指摘するという事ではなく、WHO関連のニュースに普通に接した一般人が感じとった事である。政府レベルではトランプ大統領がWHOを強烈に非難し、安倍首相もWHOは政治性を排除すべし、と発言している。

WHOが中国共産党の支配下にあるのは深刻な問題であるが、WHOの対応を見ると、そもそも公衆衛生に関する技術力が欠けている。

発生直後の渡航禁止措置反対は、中国が国際経済の中から孤立してしまうのを妨げるための政治的措置であったが、その後のWHOの発表は各方面に混乱を招いた。

マスク着用に関する見解も、無意味と言ったり着用すべきと言ったりと定まらない。発症前には感染しないと言った翌日に発症前から感染すると言うなど発言が一定していない。

今後、確実にやってくると予想される第二次感染拡大に備え、専門家による感染拡大シミュレーションが必要となる。PCR検査の規模や必要とされる医療キャパシティ、営業規制の程度などを科学的に想定しなければ、政治的に混乱してしまう。

ところが、シミュレーションに必要なパラメータは、これだけ世界中で感染が拡大しているのに、そしてWHOにはその情報が入っているはずなのに、いまだに武漢コロナウイルスの正確な挙動が不明なのである。潜伏期間の分布も不明だし、感染後に感染力がどのように変化するかの数値的データも不明だ。

WHOには優秀な人材が揃っているはずだが、中国共産党支配下にあって、十分な国際連携も出来ず、専門的な分析も出来ないという状況なのだろう。トランプが脅しているように、一度解体して新しい組織を作った方が良いだろう。

 

武漢ウィルスは傲慢な国を狙って蔓延する

武漢コロナウィルスが蔓延してしまった国には、ある共通点がある。今年の1月からの経緯を思い出して欲しい。武漢ウィルスは、感染者が出ている国を揶揄したり、感染者発生国の国民を差別したり、あるいは自分の国ではウィルスが広まるはずがないと思いあがった国を狙って蔓延していった事がわかるだろう。

中国に次いで我が国に武漢コロナウィルスの感染者が増加していたころ、欧州ではアジア人に対する差別や嫌がらせが横行した。フランスで寿司店にコロナと落書きされたのは報道で記憶している人も多いだろう。

欧州だけではない。通常はまさか日本人を差別するはずがないと思われるような国でも日本人に対する差別が発生した。インドネシアはその一つだ。その後、イタリアを皮切りにヨーロッパではウィルスが急速に拡大した。

イギリスでは欧州大陸より感染者が少数で、日本での感染拡大を受けて東京オリンピックの開催について議論になっていた頃、イギリスの政治家はロンドンでオリンピックを開催しようと日本をからかった。その後の展開は承知の通りだ。

米国の例は顕著である。メディアは日本のダイヤモンドプリンセス号事件を揶揄し、大統領は米国の検疫システムは完璧だとの自信を見せていた。ブラジルも、大統領が自国での対応に強い自信を見せていた国だ。なお、ダイヤモンドプレンセス号にはロシア人も大勢乗船していたため、ロシアは日本政府を厳しく批判していた。

日本と韓国の場合を見よう。当初、日本での感染拡大を冷笑し、東京五輪の中止を願っていた韓国では感染が一気に拡大した。その韓国の感染拡大を日本が揶揄していたら、今度は日本で感染が拡大してしまった。一方で感染を抑えた韓国がK防疫なるものを自画自賛した途端に感染の巨大クラスターが再発生してしまった。

武漢ウィルスが他者を見下し自分が優越であると考える国を狙って蔓延するという説は、もちろん科学的根拠はなく偶然の事象だけ見た私の作り話だ。だから例外もあり、あてはまらない国も多い。とは言え、謙虚さこそが、実は武漢肺炎対策に大事な心構えだとは思う。

さて、麻生財務大臣は武漢コロナ対策について「日本は国民の民度のレベルが違う」と発言したが、私の説によれば、いわゆる「フラグが立った」状態なのである。

 

アフリカ豚熱と武漢コロナウィルス

近年、アジア地域でアフリカ豚熱の感染事例が増えている。人には感染しないが、豚・猪に感染し畜産業に打撃となるため、日本の空港では摘発を強化している。「アフリカ豚熱」という呼び方は、別にアフリカを豚扱いにしているわけではない。日本国政府が公式に使用している用語であり、アフリカに対する差別ではない。

一方、武漢発のコロナウィルスや肺炎については、メディアも政治家も武漢ウィルス・武漢肺炎とは呼んでいない。発生地が明確で「武漢ウィルス」という表現が最も適しているにもかかわらず、中国への差別を助長するという理屈である。

しかし実際は差別的表現が理由なのではなく、中国共産党への忖度が最大の要因だ。

安倍政権がここ数年中国への忖度を強めている理由は良く分からないが、政府の過度な親中政策とメディアの伝統的態度により、武漢肺炎・武漢ウィルスは差別表現だという不思議な主張が平然とまかり通っている。

共同通信の「日本、中国批判声明に参加拒否」という虚報が平然と流されるもの、武漢肺炎とは呼べない政府の姿勢が背景としてある。

かつて秦の丞相が皇帝の前で鹿を馬と呼び、周囲の者にも馬と呼ばせることで自らの権威を示したという故事があるが、武漢ウィルスを新型ウィルスと呼ばせるのも同じ目的である。何かの呼称を決める行為そのものが、誰が誰より上位者であるのかを明確にする手段なのだ。中国共産党はCOVID-19という呼称を定着させ、武漢肺炎を差別用語扱いとしたが、それに従う事は中国共産党の権威に平伏するという行為である。

米国の政治家が時々「中国ウィルス」という表現を使うが、言葉の定義が国家間の力関係を反映すると理解しているからだ。「中国ウィルス」は露骨に政治的だが、「武漢ウィルス」は「新型コロナウィルス」よりも遥かに自然で中立的な表現である。2020年の歴史を正しく後世に残すためにも武漢肺炎・武漢ウィルスという表現をより多くの人に使ってもらいたいものだ。