日本で嘘ニュースは問題となるか

トランプ氏が、ついに米国大統領に就任した。2016年の米国大統領選挙ではFacebookなどで広められた嘘(フェイク)ニュースがトランプ側に有利に働いたとされている。これはロシアの陰謀であるとも、広告収入を目的とする詐欺師集団の仕業だとも言われている。

これはステレオタイプの米国人と日本人を思い浮かべると意外な話である。日本人はオレオレ詐欺にもすぐに引っ掛かるように騙されやすく、アメリカ人は自分の頭で判断するために容易には騙されない、というのが一般的な国民像だ。ところが、そのアメリカ人が嘘ニュースに踊らされたと言うのだ。

それにしても、日本で米大統領選挙時のような嘘ニュースが出回ったとして、果たしてそれが選挙や政治に大きな影響を与えるかというと、ちょっと疑問である。Twitterや2chでデマが拡散したとしても、すぐに嘘が発覚して沈静化してしまう。日本では同じ政治思想を持つ社会だけで閉ざされているようで、結局はテレビや新聞など皆が見るような既成メディアが身近にあり、実は多様な政治主張に接する環境にあるからだ。

また、デマを拡散する事、そしてデマを信じてしまう事自体が、右翼であろうが左翼であろうが政治的な打撃になるため、ソースを慎重に確認する事が定着している、という背景もあるだろう。

日本の言論界は、朝日新聞はじめ日本の左翼と朝鮮人らが広めた従軍慰安婦性奴隷という捏造に対し、立証可能な事実を武器に闘ってきた。南京大虐殺という嘘に対してもそうであり、政治的プロパガンダに対しては事実をもって対抗する姿勢が定着しているのである。

日本では国民が嘘ニュースに騙されて政権が転覆する、という事は起きないと予想できる。むしろ、これまで通り朝日や毎日など既成メディアの偏向報道の方が、嘘ニュースに勝る威力を維持するであろう。

我が国での世論が現在世界で問題となっている嘘ニュースに踊らされる事はなさそうだ。

しかし、嘘ニュースは時間が経てばバレる事を前提としている点に注意する必要がある。米大統領選挙の例では、選挙期間中だけ通用すればそれで良かった。

日本で問題となりそうなのは、嘘ニュースで世論が誘導される事ではなく、嘘ニュースで特定の集団が騙される、という事態だ。

例えば、保守派が飛び付きそうな虚偽の情報だ。ネットで取り上げられ、著名人が言及した時点で嘘ニュースであった事をバラすのである。これで保守派にはネットの情報を鵜呑みして嘘ばかり信じる集団だ、というレッテルを貼る事が出来る。

この程度では政権の脅威とはならないが、特定の集団の権威を失墜させる目的で嘘ニュースが流される可能性はあり、注意が必要だろう。

日本人は英語が苦手なので海外サイトに直接影響を受ける事はあまりない。しかし日本人が直接真偽を確かめるのが難しい嘘ニュースに騙される可能性はある。今後、ロシアがEUの分断のために移民による犯罪やリベラル派メディアの偽善などに関する嘘ニュースを流す事が予想される。

そのニュースで一体誰が得をするのか、という視点以外に、そのニュースがフェイクである場合に誰が得をするのか、という観点でもニュースに接する必要があるのだ。

 

日韓合意で親韓派議員が失脚の危機

昨年末に釜山の日本国総領事館前に慰安婦像が設置されたことから日本政府が反発し大使の一時帰国とスワップ協定の協議中断を決定した。この動きに対して韓国世論が逆ギレし、ポピュリズム政治に陥っている韓国政府の機能は麻痺、日韓関係が悪化している。

日本側の反発は日韓合意が遵守されない事に対するものであるが、ここに来て韓国側は日韓合意破棄の動きを見せており、2015年末の安倍首相の決断による日韓合意は失敗に終わりそうである。日韓友好のための合意が、実は日韓の関係悪化の要因となってしまっており、本来なら安倍首相の責任問題であるが、韓国側に非があるとの世論から、安倍首相の支持率は逆に上昇した。

このブログでは日韓合意後に反対意見を表明した。日韓合意に反対だった保守派の意見と同じく、韓国がこの合意を守る事は無いとの主張であったが、朴大統領の権限剥奪という予想外の事態により、わずか1年で予言が的中する事になってしまった。

今回の日本側の反応で特徴的なのは、対韓強硬派の人達よりも日韓合意を歓迎して未来志向の日韓友好を夢見ていた人々が強行な韓国批判をしている点である。自民党の二階俊博幹事長が良い例であり、民進党の野田元首相も韓国批判の発言をしている。「それ見たことか」と内心冷笑している対韓強硬派とは対照的だ。

「親韓派」には実は二つのタイプがある。一つは日韓友好を重視し、お互いに譲歩しあって経済協力も進めようという人達で、二階らはその中にあるだろう。イデオロギーよりも実利を優先し、投資や貿易などの経済交流を活発にして経済的利益を得ようとする人達だ。

もう一つは、韓国あるいは朝鮮民族が日本より上位にあるという思想を持つ人々、および大日本帝国というものを徹底的に否定しようとする左翼の集団である。彼等が重視するのは、朝鮮は正義であり日本は悪であるというイデオロギーであり、日韓友好とは相互に対等の立場ではなく、朝鮮民族が日本民族より上に位置するという事である。だから未来志向で日韓が対等の立場で友好関係を築くという事態は困るのである。

今回の件では、後者の勢力が勝利したと言って良い。日韓合意が有名無実化し、韓国への10億円拠出と日本側の反省表明だけが歴史に残ったうえ、今後も慰安婦問題で日本攻撃を続ける事が確定したからだ。

一方、前者は面目丸潰れであり、またまた遠退いた日韓友好に不機嫌の日々であろう。なにしろ「韓国はいつもゴールポストを移動する」というネットでの話を野田元首相が言及する程である。裏切られたという思いに相当なショックである事が想像できる。今後、日韓双方がお互いに譲歩しあって友好関係を築くというアプローチは国民の同意を得られなくなるだろう。韓国は絶対に約束は守らず、日本側が毎回譲歩を続けなければ実現できないような友好なら、未来永久そのようなものは不要だ。

その意味で日韓合意を決断した安倍首相こそ重大な責任を負うべきであるが、一時的な強行姿勢で国民は騙されたままで、安倍首相の失脚という事態にはなりそうにない。

日韓合意に賛成していた親韓派の巻き返しには、難しい選択肢しかない。第一に韓国側に日韓合意を遵守させる事だが、これは朴大統領の弾劾という情勢から不可能だ。逆に日本側が更なる譲歩をする、例えば左翼が主張している謝罪と賠償は、そもそも左翼の言う慰安婦問題が虚構で捏造に満ちた物語であり、これに対しては日本の国内世論が許さず、不可能である。

大使の帰国で満足するなら、これは簡単だ。釜山の慰安婦像が撤去されなくとも、いずれ大使が韓国に戻る事は確実だからだ。しかし政府レベルでの経済交流、つまり通貨スワップ協議の再開は困難であろう。残された希望はアメリカの介入しかないが、どのような形で鉾を収めたとしても経済協力再開は当分の間は無いであろう。

親韓派は足並みが乱れ、今後は統一した流れを作る事は出来ず、対韓国強硬派に主導権を握られる事になるだろう。二階氏はじめとした未来志向型の親韓派は失脚し、左翼に吸収されるか嫌韓に転向するのではないだろうか。

さて、この問題は面白がってばかりもいられず、解決策を考えなければならない。もちろん、私としては日韓合意自体に反対で、左翼や韓国が主張する慰安婦性奴隷や強制連行はオフィシャルに否定しなければならないと考えている。だが、当面は局面を打開しなければ、振り上げた拳を降ろすだけという格好悪い結末になってしまう。

ソウルの大使館前にある金ピカの座像は日韓合意後も撤去されないまま昨年11月頃に日韓通貨スワップ協議が開始される事になった。であれば、その時点に戻せば良いわけである。そう考えると答は単純明快だ。釜山の総領事館を廃止すれば良いのである。そもそも隣国だからと言って領事館があちこちにあって良いというものではない。釜山とソウルは日帰りが可能であり、全ての機能をソウルに移せば良い。

この案の欠点は朝鮮戦争が勃発してソウルが火の海になってしまった時に困る点だが、そもそも半島有事の際に大使館がどの程度役に立つものなのか不明であり、大きな問題ではないだろう。

真の日韓友好とは、日韓の仲が悪い事を前提に朝鮮民族の特徴を良く理解し、日本側の主張は断固曲げず強硬な態度で接してこそ実現可能だ。お花畑な友好思想では、日韓友好は達成できない事が今回の件で明確な形で示された。日本が譲歩してでも日韓スワップ協定に持ち込みたかった親韓議員達は、その権威も失墜し、やがて失脚する事になるだろう。

鏡に向かって怒り狂う韓国民

2016年は激動の一年であったが、最後に韓国で不思議な民衆運動が勃発した。11月から12月にかけ、朴大統領の辞任を求めて大規模なデモが発生し、12月には大統領の弾劾訴追が決定され、韓国の政治が機能不全の状態になってしまった。

日本でもニュースで大きく取り上げられたが、韓国人が一体何に対して怒っているのか、客観的な視点で見ると理解できない人が多かっただろう。特定の民間人が国政に関与したというのが問題のようだが、どうして手のひらを返したように、突如として韓国人が一斉に怒り出したのか、なかなか理解に苦しむ出来事であった。

確かに朴大統領の疑惑は問題であったが、国民が怒り狂うほどのものではないし、デモで権力の座を引き摺り下される程度のものでもない。疑惑の内容というのはあまりに馬鹿らしいので、ここでは言及しない。要するに、弾劾訴追の原因自体にはニュース価値はない程度のものである。

韓国民が怒ったのは韓国人の社会そのものである。朴政権発足後の韓国は経済が停滞し外交も失策続きで、しかも韓国の威信を失墜させるような出来事が相次いだ。セウォル号沈没、大韓航空機ナッツリターン事件、リッパート大使襲撃事件、韓進海運破綻、サムスンGalaxy Noteの爆発など、プライド過剰の韓国人にとっては堪えられぬものであった。

プライドと言えば、韓国製品が世界市場を席巻し、韓流文化が流行する事で近年の韓国人は民族の優秀性に有頂天となっていた。世界の中での優秀民族、一流国家としての自己陶酔していたのが、最近の良くない出来事で不満が高まっており、そこに経済悪化が重なったため怒りが沸騰するには何かのきっかけがあれば良かったのである。

セウォル号を沈没させたのは朴大統領ではないし、韓国製スマホを爆発させたのも朴大統領ではない。韓進海運の破綻については政治の失敗もあるかもしれないが、基本的には韓民族そのものの特性により起された事件ばかりである。無責任な船長、傲慢な経営者、暴力に訴える愛国者、利益優先の企業など、韓国社会自体が韓国人を失望させているのである。だから気の毒なのは韓国大統領であり、大統領に向けられている不満は、実は自分達自身への不満なのである。

LoveがHateに勝った2016アメリカ大統領選挙

2016年米大統領選は、トランプ氏の勝利という、多くの人達にとって予想外の結果となった。直後から多くの分析が出されたが、年も明け、衝撃が冷めつつある。

選挙期間中は米国のマスコミがクリントン優勢を伝え続け、日本のマスコミも同じ内容を報道していたことから、選挙期間中のメディアの偏向姿勢を批判する意見もあった。

左派系メディアの政治的偏向報道は問題ではあったが、トランプ当選の件で個人的にはマスコミを批判する気にはなれない。何故なら私自身はアメリカ次期大統領には第三の男が選ばれると予想していたからだ。つまり、それ程にまでトランプ大統領というのは有り得ない話だったのだ。

トランプ氏が大統領に選出されたのは事実であって、しばらく自分の思い込みの間違いについて考えてみた。評論家やメディアが選挙後に、あたかも選挙期間中から知ってたかのように詳細な解説をしており、その内容には概ね賛成なのだが、主として浮動票についてのコメントである。固定票、つまり共和党の支持者は、何故トランプ氏に投票したのだろうか。

選挙期間中、ブッシュ前大統領がトランプ不支持の立場を表明したように、強固な共和党支持者でもトランプ氏に愛想をつかして投票しないという人達もいた。偏向メディアの伝えた内容だが、それは事実であっただろう。トランプを支持しない共和党議員も多くいるようだ。それでも共和党の固定票はトランプに投票した。

民主主義は、自由な意思を持った個人の一票の積み重ねという単純なものではない。先進国であろうと後進国であろうと、民主主義国家では利益集団の存在が非常に大きい。それぞれの利益集団は大統領が変人であろうが女性差別主義者であろうが関係はない。共和党の支持基盤となる利益集団も同じであり、長く続いた民主党政権が変わるのであれば、大統領は誰でも良いのである。昨年の米大統領選挙は、民主主義における利益集団の重要性を示したものであったという事だ。

さて、タイトルの件である。浮動票はどうしてトランプに流れたのか。様々な事が言われている。メディアの多くは、差別主義者がトランプを支持している、と言っていた。そして英国のEU離脱の背景と同じく、排外主義の伸張がトランプを支えた、というのが典型的な分析だった。反トランプ派は、反ヘイトを訴え、愛と共存を唱えたが、接戦を制する事が出来ず、トランプの誕生を許してしまった。

私もこのような分析に同意見だ。ただし、ヘイトと愛が逆である。

2016年米大統領選の分析では、「ポリティカル・コレクトネス」がキーワードの一つになった。異教徒に配慮してメリークリスマスと言えない、というのは良く知られた典型で、クリスマス前にアメリカの国内線に乗ると着陸前の機長の挨拶はハッピーホリデーである。リベラル思想が過激化し、まるで共産主義国家のような言論統制が進行しているのだ。地域の伝統と文化を抑圧し、外国人の流入と異文化を過度に保護するという奇妙な正義が社会を覆っている。反差別やら異文化・外国人への寛容の強制が、社会を陰鬱なものにしている。

これまで日本国内ではネットの普及で日本と周辺国に関連したメディアの偏向報道や外国勢力寄りの左翼運動の実態、戦後歴史教育の虚構などが広く知られるようになったが、米国や欧米の動きについてはあまり関心がなく、情報も限定的だった。しかし最近の欧州の移民問題や英国のEU離脱、そして米国大統領選挙を契機に欧米におけるリベラル過激思想の実態が知られつつある。

欧米では難民・移民の犯罪報道は差別を助長するとして隠され、外国人に対する差別的言動は、犯罪とは言えないレベルであっても大々的に報道されているらしい。キリスト教が支配的な社会でありながら、多文化共生の名のもとにイスラム教徒に対する配慮が度を超え、もともとの文化・社会が動揺している状況にある。リベラル過激思想というのは、異文化・外国勢力を過度に保護する立場から、常に差別を話題にし、社会全体が差別のレッテルを恐れて萎縮しているのだ。

人々が求めているのは平和と安定、愛に満ちた平穏な生活だ。左翼が事あるごとに政治問題化しようとする差別問題・ヘイト問題には、一般的な市民は辟易しているのであろう。憎悪の無い、愛と友情に満ちた社会への希求、これがトランプ当選の背景の一つなのであろう。

相対的貧困率から考える日本の貧困

今年8月にNHKが報道した豊かな消費生活を満喫しているパソコンも買えない少女の特集をきっかけとして日本の貧困問題に注目が集まった。片山さつき議員が議論に参加したこともあり一時盛り上がったが、現在ではやや下火である。例によって、話題に遅れてブログのテーマとする。

一連の議論でNHK擁護派から出された意見が、「相対的貧困」という概念の重要性である。日本はOECD諸国の中で、相対的貧困率の順位が全体で下から大体4番目である。国民のうち、実に6人に1人が貧困ラインより下の所得である。

貧困ラインの定義が「相対的」貧困の概念から来ることから議論噴出の原因となっている。つまり、相対的に所得が少ないだけで、絶対的な貧困ではない、という意見がある一方、相対的に人と同じ生活を送れない事は深刻な問題、とする意見などだ。

ここで、OEDCの相対的貧困の定義を見てみよう。所得を順番に並べた時に中央に来る所得を中央値として、その中央値の半分を貧困ラインとする、というものだ。定義は明確であり、その貧困ラインが日本では全然貧しくないと主張したところで、国際比較すると他の国よりも貧困ラインより下の割合が高いのは事実であり、しかも「平均」所得が日本より高い国の方が相対的貧困率が低いのである。

具体的な数値を見よう。これはとあるブログの記述から取ってきたのだが、日本では所得の中央値が250万円であり、その半分の125万円で生活している人が6人に1人である。これは驚愕の数値だ。年収125万円以下で生活する人達が、実は6分の1もいるのである。

さて、政府や社会に憤慨する前に、冷静になって考えてみよう。所得の中央値が250万円?低過ぎないか?OECDのホームページでは2012年の数値が278万3千円となっているが、本当にそれが中央値なのか?

実は、相対的貧困率の計算で採用している数値は人口あたりである。つまり子供も老人も全て含まれた数字なのである。日本の世帯あたり人数は約2.5人であるから、250万円というのは世帯あたり625万円である(後で見るようにこれは正解ではないが)。だから、「6人に1人が年収125万円以下」というのは非常に誤解を生む表現なのである。

だから何だという意見もあろう。別に日本だけ別の定義を採用している訳ではなく、日本の相対的貧困率が高いという事実に変更はない。ただ、相対的貧困率の議論で登場する数字には振り回されるべきではないという事だ。

OECDのデータを見るにあたっては、もう一つ注意しなければならない点がある。

世帯所得を人の単位に換算する場合、4人世帯で年収400万円なら、ひとりあたり100万円が4人いるとして扱うのが単純な考え方だろう。しかしOECDの定義ではそうなっていない。このケースでは4の平方根の2で割って、一人あたり200万円が4人いる、と見なすのである。

独り暮しより夫婦で生活した方が効率が良いように、家族の数が増えれば、一人あたりに必要な出費は減少する。一台の家電製品で多くの人にサービスできるし、携帯電話の家族割りなどの便益を得られる。OECDではその事を考慮して、人数が多くなる程一人あたりの所得を計算する際の人数を減らしているのだ。複雑な計算ではなく、単純に世帯人数を平方根で割った値を利用している。

これは、日本の貧困問題を考える上で重要な考え方ではないだろうか。年収100万円の単身世帯が2世帯ある場合、一人あたりの所得は100万円だ。しかし、同じ年収の単身世帯の男女が結婚した場合、一人あたりの所得は100万円ではなく、100×2÷1.41=141万円と見なされる。子供が1人生まれた場合は100×2÷1.73=115万円、2人生まれると一人あたり100万円と計算される。

つまり、独身男女2名が別々に生活する場合と、結婚して子供が2人いる場合とで、OECDの計算上では一人あたりの所得は同じと計算されるのである。もちろん、結婚する男女の間で所得格差があれば、一方の側はむしろ一人あたり所得が低下する事になる。

これは高齢者の単身世帯も同様であり、子供世帯と同居した方が、別居しているよりも高齢者にとっての一人あたりの所得は高くなるのである。もちろん、現役で稼いでいる子供世帯にとっての一人あたり所得は低下するが、全体としての所得水準は向上する事になる。

所得が低いから結婚相手が見つからず非婚化が進んでいる、というのは一面でしかない。男女とも一人で生きていけるなら、二人ならもっと生活が楽になるはずなのだ。貧しいから結婚できないのではなく、結婚しないから貧しくなるのである。

多様な生き方という美名のもとで独身者が特殊ではなくなり、男女は結婚して当たり前という風潮が時代遅れとされ、独身世帯が増加を続けている事が日本の貧困を生み出しているのである。三世代が同居するような家族像が崩壊し、核家族化が進行し続けている事もそうである。

個人の自由というプロパガンダが、家族を分解させ、男女を分離させ、そして日本の伝統を崩してきた。そして、それが今日の日本の貧困問題を深刻化させる要因となっている。

貧困問題は生活保護などの社会保障や福祉、経済成長ばかりに着目しては解決しない。結婚して子供を育て、老いた親の面倒を見るという、家族のあり方というものも考慮する必要があるのである。

なお、独身男女が皆結婚すれば相対的貧困率が低下するかどうかは計算してみないと分からない。所得の低い男女同士が結婚すれば低下するが、所得の中央値よりもわずかに低い程度の男女が同一世帯となれば、中央値が増加してしまう分、相対的貧困率は増加してしまう。