非同盟・中立路線なら徴兵制もあり得る

安全保障法案は参議院での審議に移ったが、『安保法案で徴兵制が導入される』との意見が影を潜めたという事はない。反対派は国民を扇動する有効な手段として、徴兵制を利用し続けている。

彼等の主張は滅茶苦茶であるが、一応整理すると、次のようであり、要するに自衛隊員が不足する、というのが論拠となっている。

  • 戦争になるので、戦死で自衛隊員が不足する
  • 戦争が怖くて自衛隊の募集が進まず定員割れする
  • 自衛隊の役割が拡大するので自衛隊員が不足する
  • 少子高齢化で自衛隊が定員割れする

以下、これらに反論してみる。

【戦争になるので、戦死で自衛隊員が不足する】

戦争を未然に防ぐのが安全保障であり、今回の安保法制による日米同盟の強化もそれが最大の目的である。したがって、「安保法制で戦争への道」という発想自体が間違いであり、前提条件から成立しない論理だ。

【戦争が怖くて自衛隊の募集が進まず定員割れする】

平時には軍隊で飯を食うが、非常時には戦争を恐れて軍を脱走する、というのは良くある話だ。中国や韓国がその代表だ。しかし戦争の不安を煽っているのは反対派であり、今回の安保法制で戦争の脅威が増すというのは法律の主旨からすれば、全く逆の論理だ。一方、PKOや後方支援で自衛隊のリスクは多少高まるが、そもそも国防意識を持った若者の志願数が減る心配はない。ヤクザを恐れて警察官の志願が減るだろうか。暴力団取り締まり強化によるヤクザの脅迫に震え上がって警察官が大量退職するのだろうか。左翼の論理では、警官への徴用制度が必要となるだろう。

【自衛隊の役割が拡大するので自衛隊員が不足する】

政治や官僚が、キャパシティを考えないで政策を打ち出すことは、確かにある。自治体の能力を超えた景気対策や業者の能力を超えた復興計画など、実例は多い。しかし今回の安保法制で拡大する自衛隊の役割はそれ程大きなものではなく、自衛隊の要員数が予算や募集人員の制約を超えてしまう可能性はない。世界中でPKOの需要が高まったとしても、日本の能力の範囲内で対応すれば良いだけの話である。

実は、この問題は日本が日米安保から遠ざかり、非同盟・中立の路線を歩む際に表面化するものだ。これまで、「ついでに」日本の防衛にも寄与していた米軍が日本から撤退した場合、日本の防衛体制は大幅な見直しが必要となるが、戦力不足の穴埋めが大きな課題となり、また核武装も選択肢として議論されるようになる。しかし、この場合でも志願制による質の高い防衛体制を目指す事になるだろう。ただ、日米同盟強化路線よりも非同盟・中立路線の方が徴兵制の可能性は高くなる。

【少子高齢化で自衛隊が定員割れする】

驚いた事に、共産党だけではなく民主党まで少子高齢化と徴兵制を関連づけて論じているが、今回の安保法制の議論とは独立した話だ。

日本でもし徴兵制が導入されるとすれば、日本が非同盟・中立路線を選択し、米軍が日本から撤退するような場合だ。中立を維持するためには、ハリネズミとならなければならない。アメリカからも、ロシアからも、中国からも、干渉を受けないようにするため、国民全員が国防意識を高める必要が生じる。このため、技術論としては不要でも、精神論として徴兵制が導入されるようになるだろう。

現下の国際情勢では、日米安保強化の方が徴兵制の可能性が遠退くのである。

「正義」が語られない安保法制議論

国の安全保障というものは戦争という非常事態を避けるための政治の継続であり、戦時を想定しながらも、その活動は大半は平時のものだ。一般市民にとって、平和な時に国家の緊急事態を考えるのは余程の想像力が必要であり、しかも戦争というのはどのような形態で訪れるか不明であるから、具体的な危機感というのは持ちにくい。

このため、現在の安保法制の議論では、国防上の非常事態にどのように備え、抑止し、対処するか、という視点が重要であるのに、そのための手段や、発生するリスクだけに着目して本来の目的や意図を無視した不安ばかりが広まっている。

「アメリカの戦争に巻き込まれる」論もそうであり、本来は我が国にとって絶対に許す事の出来ない事態に対して協力して対処しようという主旨のものを、我が国が何の正当性もなくただひたすら戦争の道を歩むのだとばかりに勝手に解釈して激情してしまっている。

これは、自分達で捏造した歴史に勝手に逆上して、自分の脳内で怒りが怒りを呼んで手がつけられなくなっている韓国世論に似ている。

そもそも、集団的自衛権の行使容認には、「自分さえ無事であれば友人が傷ついていても無視して良いのか」という正義感が基調にある。日本側にその正義感がなければ、アメリカも日本の防衛に本気にはなれない。そうなってしまう事が反対派の最大のねらいなのである。

しかし、「正義」を前面に押し出す事は、そのための「犠牲」にも言及する事になり、現在の世論情勢では困難であろう。犠牲ばかりが着目されている現在の議論は、本来の目的を見失っており、無意味である。

また、正義は拡大解釈されてしまう恐れもあり、何でも正当化されてしまう危険性がある。このため法律では様々な制約を課しているのだが、それが逆に安保法制をわかりにくくしている。

さて、例え話は誤解も招くので良くないと思うが、今回は下手くそなSF物語を考えてみた。特に安全法制の例というのではなく、戦争と平和という一般的な話題についてである。

『宇宙人が人類侵略を開始した。UFOによる長年の調査の結果、軍事力で全人類を支配できると判断したのである。

大陸の主要な場所には侵略の拠点が築かれ、世界中の都市に対する攻撃が始まった。各国の軍隊は宇宙人と勇敢に戦い、地球防衛軍を結成し、お互いに協力して侵略者に反撃した。日本を除いて。何故か、日本だけは宇宙人の攻撃対象とはならなかったのである。

日本の学者たちは、憲法9条のおかげだと喜んだが、政治家は困っていた。各国から地球防衛軍への参加を要請されていたからだ。日本にとっては緊急事態ではなく、むしろ米軍基地を日本から追い出さないと、宇宙人が気付いて日本に侵略を開始するかもしれない。国論は二分した。

宇宙人対人類の戦争は、互角のまま双方多大な犠牲を出したが、終局が近づいてきた。地球防衛軍の司令官は、最終決戦の時と場所を決めた。地球防衛軍もボロボロだったが、宇宙人も相当な戦力を失なっており、勝算の見込みはある。日本が参戦すれば勝利は確実だが、日本の選択を尊重することにしよう・・・』

 

本当は徴兵制を軍国主義と思っていない反日左翼

今日も安保法制がらみの内容だ。民主党はパンフレットまで作成して、安保法制は徴兵制に行きつくと主張している。

日本が徴兵制を採用する積極的理由はなく、自民党を含め主要な政党で徴兵制を主張している政治勢力はなく、日米安保条約によって米軍に日本を守ってもらっている現状では徴兵制が導入される必然性はない。

中国の軍事力増強に対応するには、日本が経済成長を維持して自衛隊の戦力を安定的に保持する事が重要だ。このため、若い労働力を強制的に一定期間兵役に就かせる事は、日本では経済損失が大き過ぎて、逆に防衛力の維持にとって不利である。

また、日本は反日国家から帰化した者を多く抱えており、有象無象に自衛隊に参加させる事は危険だ。

中には若者を鍛えるためだとか、女性の社会進出のためだとかいう理由で徴兵制導入を主張する人達もいるが、少数派であり、そもそも安保法制とは関係がない。

それでも反日左翼は日米安保の強化を徴兵制への道だと主張して大騒ぎをしている。これは国民を不安にさせて、安保法制反対派を増やし、安倍政権を不安定化しようとするプロパガンダである。

さて、左翼のプロパガンダに洗脳された国民は徴兵制を恐しいものと思い込み、一種の恐慌状態になっているが、扇動している連中は、実は徴兵制の本当の事を知っている。何故なら、彼等の身内である韓国が徴兵制を採用しているからである。

もし徴兵制が不気味な、恐怖の制度であるなら、韓国は危険で悪魔的な隣人だ。しかし、韓国は一応、自由主義、民主主義国家として存在し、経済も発展して先進国の一員となっている。

その視点で周辺国を見ると、意外にも、比較的安定した国々でも徴兵制が導入されている。インドシナの各国は、タイを含め徴兵制を導入している。タイは軍事クーデターが頻発しているが、それでも凶悪な軍事国家という事は無い。シンガポールのような貿易・観光立国でも徴兵制が敷かれている。

戦後左翼の理想郷であった中立国スイスも徴兵制を導入しており、フィンランド(中立国)もそうだ。中立国ではスウェーデンも徴兵制を採用していたが、2010年に廃止した。NATO加盟国でも徴兵制を維持している国はあるが、侵略国家というものはなく、左翼が扇動するような、徴兵制ですぐ戦争、人殺し、という状態ではない。

南米諸国もブラジルを含めて徴兵制の国が多いが、それでも平和を維持している国が多い。ボリビアは左翼政権が成立した後、憲法を改正して日本のように戦争放棄すると大統領が発言し、左翼を大いに期待させたが、改正された憲法では外国軍の駐留禁止とともに、徴兵制が明記された。

左翼が理想郷とする国々で徴兵制が採用されている。これらの国々では国家は国民のものであって、個人個人の高い公共精神が国家を形成するという理想から徴兵制が採用されているのである。これは個人の自由が国家に優先するという自由主義と比較すると、少しばかり共産主義に近い位置にある考えだ。ちなみに、王政を廃止したフランス革命が近代徴兵制の起源である。

だから、本物の左翼にとっては、場合によっては徴兵制が肯定される。高福祉で中立な国家で徴兵制が導入されていても、米帝に対抗する左翼国家で徴兵制が導入されても、彼等には違和感はないのである。

もちろん、徴兵制と戦争が密接に結びついている国々もアフリカや旧ソ連などに存在する事は事実である。

徴兵制の廃止は世界的な潮流であり、中立国としての理想が高い国を除き、その傾向は続くだろう。安保法制が徴兵制に直結する要因は何もないのである。

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戦争扇動で極左に堕ちた民主党

日米同盟を強化する安保法制をめぐっては、予想通り極左集団が徴兵制だの戦争だの、法律が目指す方向とは真逆どころか、全く関連のない妄想を振り舞いて国民を不安に貶めようとしている。驚きなのは、民主党まで徴兵制になるという奇妙な論理を採用している事だ。

民主党は、社会党や共産党のような極左集団ではない、反自民の受け皿として期待されていた。特に、共産主義イデオロギーとは無縁で、利権に囚われない都市のリベラルな有権者を支持層としていたはずであったが、政権奪取後に極左勢力が支配的となり、国民の信頼を失なってしまった。

それでも、民主党には共産党など極左集団とは違う現実主義的な集団があると思っていたが、今回の安保法制の件では、まるで明日にでも戦争が始まるかのような扇動を始め、現政権がすぐにでも自衛隊をどこかに送り込もうとしているかのような宣伝を繰り返している。

法案を政争の具に利用するのは良くある話であるが、今回の民主党の立場は酷すぎる。左翼的だが現実主義、というイメージのある民主党が戦争だ戦争だと囃し立てるものだから、もともと反日指向のあるメディアとあわせ、国民が極左の妄想に毒される結果となっている。

安保法制での自民党のつまづきは、予想されていたとは言え、これほど酷いものとは思わなかった。というのは、反対派の主張は「戦争法案」なる存在しない制度への妄想に基づく反対であり、さすがの野党も理性を働かせて行動するものと思っていたからだ。

反対派の主張は、包丁を購入した主婦を人殺し扱いするようなものであり、ジムで鍛える男性を強姦魔として邪推するようなものであり、消防車の放水訓練をデモ弾圧の準備と非難するようなものだ。地域の平和と安定のための日米関係の強化が、ある特定の人達には脅威と映ってしまうが、真の目的には何も言及せず、ひたすらあり得ない事態の展開を妄想する左翼にも困ったものである。

下手な喩え話を持ち出さなければならない安倍首相には、本当にご苦労様と言いたい。反対派のあまりにも低レベルの議論には、本来は本ブログのような一般市民が軽く論破する話である。

【徴兵制】日本で革命が勃発して、共産主義が支配するようになれば、国民を武力統治するために徴兵制が導入されるかもしれない。しかし今日の軍事情勢のもとで、日米同盟の強化が徴兵制に直結する理屈は何一つない。自民党は現憲法が苦役を禁止しているから徴兵制は有り得ないと言っているが、そもそも徴兵制にしなければならない事情は何もなく、反日左翼の妄想である。あるいは、実際に徴兵制が採用されている国の勢力が、彼等の感覚で反対運動に参加しているのかもしれない。

【戦争】一体、誰が、どの国と戦争をしようとしているのか。反対派は説明してもらいたい。日米同盟の強化で地域に安定と平和をもたらす事の、どこが戦争だというのか。

そもそも、現在の法改正ではまだまだ日米安保条約は片務的で、相互防衛義務という水準にはない。相互防衛義務まで有する日本以外の国々は、果して侵略戦争を予定しているというのか。

徴兵制にしても、戦争にしても、決めるのは将来の政治家であり、そしてその政治家を決めるのは日本の国民だ。徴兵制や戦争を心配するのは、日本国民を信頼していないという事であり、それはつまり中国の手先か、在日朝鮮人・韓国人の類である。

これからしばらく、この問題について書いていこうと思う。

 

【赤旗】ベルリンの壁崩壊→これからが本当の社会主義

ベルリンの壁は1989年11月10日崩壊した。当時の日本共産党は、ソ連や東欧の社会主義は本物ではなく、「科学的社会主義」なる理想の社会主義が別にあるのだとして、社会主義諸国の崩壊を前にして痛々しい強がりを見せていた。

しかし、大部分の共産党員にとって、当時崩壊していった社会主義諸国こそが、共産党が礼賛する社会主義だったのである。ベルリンの壁崩壊以前には確かに共産党支持者だった自分が言うので間違いはない。あの当時の共産党の強弁が「負け犬の遠吠え」に聞こえていたのは、世間一般ではなく、むしろ共産党支持者たちであった。

以下の記事は1989年11月12日の赤旗に掲載されたものだ。ドイツ人の話を引用する形とはなっているが、「これからが本当の社会主義」というのは、むしろ日本共産党の強がりを象徴しているものだ。

これからが本当の社会主義

声はずます東独の友人 三浦特派員

二十八年余りにわたり東ドイツ市民の西側への通行を固く拒み、欧州の東西分割の象徴だった「ベルリンの壁」がたんなるコンクリートの板となった十日、一九八二年まで赤旗特派員として六年間生活したベルリンの友人たちの声は、電話の向こうで一様にはずんでいました。

「きょうの午後一時にちょっと西(ベルリン)をのぞいてきたよ。当局が本気で外国旅行を許可したのかどうか、この身で試してみたかったんだ。大変な混雑だった。ほとんどの人が朝までに東に帰ったようだ。いつでもいき来ができるとなれば、逃げ出したくもなくなるよ」と一人は語りました。

サッカーの東西ドイウツ対抗戦で西のチームを応援していた友人は、「これから本当の社会主義建設が始まる。君の党がいっている民主主義的な社会主義だ。もしクレンツ(党書記長)が国民の要求を無視したら、何度でも該当デモをやるよ」といいます。

この日の夕、クレンツ書記長も参加して開かれた野外党員集会から帰ったばかりという社会主義統一党員の一人は、「集会では下部党員から臨時党大会を早期に開け、という意見が強く出された。来月開かれることになった党全国協議会は、人事問題を決めることはできない。ホーネッカー(前書記長)時代ノ中央委員の中から最高指導部である政治局員を選んでいたのでは、国民の信頼を得ることはできない。われわれが選ぶまじめな代議員の中から中央委員を選出したいのだ」と力説しました。

インテリの一人はいいます。

西側の指導者たちはさかんにドイツの再統一を口にしているが、東ドイツの一般市民からは、そんな声はほとんど聞かれない。多くの国民は真の意味での社会主義を建設したいと望んでいる。確かに西側に自由に旅行できるとなれば、外貨の問題も出てくる。また、持ち出し・持ち込みできるものもある程度の制限も必要だろう。これは西ドイツとも相談し、われわれも知恵をしぼらなければならないことだ。いま迫られているのは根本的な経済改革だ。ソ連のようにテンポが遅ければ新たな問題が出てこよう。しかし、民主主義が確立されればその心配もない。現時点では圧倒的多数の国民がやる気十分だ」

ドイツは翌年1990年10月3日に再統一され、「民主主義的な社会主義」なるものが建設される事はなかった。