出てくる人物皆年寄りばかりの新国立競技場

五輪スタジアムの建設を巡って混乱が続いている。安藤忠雄が審査委員長を努めて決定した新国立競技場に意義を唱えたのは、建築家の槙文彦だ。東京五輪組織委員会の委員長の森喜朗は、安藤忠雄が選定したザハ・ハディドのデザインを推して、2520億円という巨額のスタジアム建設を決定した。そして東京五輪を推し進めたのは石原慎太郎である。

この問題は色々と話題になっているので、詳述しない。しかし多くの日本人が巨額の建設費と、現計画をごり押しする日本オリンピック委員会(JOC)、そしてその決定を正当化する現政権にショックを感じたことだろう。

私も同様に、この騒動にはあきれている。しかし、もっとショックなのは、出てきた人物が皆老人ばかりである、という事だ。

安藤忠雄は1941年生まれ、現時点で73歳、槙文彦は1928年生まれ、現時点で86歳である。森喜朗は1937年生まれの78歳、石原慎太郎は1932年生まれの82歳だ。ちなみに舛添要一は1948年、つまり戦後生まれの66歳である。

今回の件ではメディアに登場していないが、磯崎新(86歳)や隈研吾(60歳)など、日本が誇る建築は多数いる。私がショックだったのは、新進気鋭の若き建築家が、今回の件で登場していない事である。

そう思ってネットで色々調べたが、私自身建築の専門ではないので現在の建築家について正しい判断はできない。ただ、自分が知っているような、メディアにも登場する著名な建築家はほとんど高齢者ばかりなのだ。ニュースで登場した有名な建築家で若手としては、ニュージーランドの地震の際に話題になった事が思い出される程度である。

現在の日本は、老いた大国だ。昔の栄光にすがって自画自賛している惨めな国だ。私はネット経由で共産党シンパからネット右翼に転じた者だが、ネットに溢れる日本礼賛の記事は古き良き時代の話ばかりで、うんざりするものばかりだ。

残念ながら、日本の官僚も未だに「日本の技術は優れている」などと思い上がっている。特に痛々しいのはODAの分野であり、優れた日本の技術や制度を遅れた途上国に教えるのだ、という態度が感じられる。実際にはコストパフォーマンスに優れた他国の技術に、ガラパゴスの日本技術が敗北しているのだ。

それは、結局は世界に通用するような若き日本人が不足している現状を反映している。東芝の醜態も、SONYの凋落も、日本の現実なのである。

私のような世代の人間にできる事は、未来に負の遺産を残さず、将来の若者に活躍の場を与える事だ。東京五輪がダサいまま終了してもかまわない。その後の日本で次々と若い建築家、技術者、政治家、文化人が大いに活躍できるような社会を残すことが重要なのだ。

 

「密入国白書」が伝えた戦後の朝鮮人密入国事情

在日韓国人の中には戦後に密入国してきた者が少なくない。民主党が在日朝鮮韓国人に選挙権を与えると主張した際、「在日の人々は強制連行されてきたのだから」という事を根拠としたため、ネットで次々に反論され、逆に在日韓国人が本当はどうして日本にいるのかについて正しい理解が進んだ。

しかしながら、ネットの一部の情報だけで、あたかもほとんどの在日が密入国してきたかのように勘違いする者もいるようだ。ネット情報の弊害であり、大半の在日韓国人は終戦前から日本にいた人達の子孫だ。

間違った情報で韓国批判をすると本当のヘイトスピーチになってしまう。正しい理解が必要だ。

さて、今回は法務省がかつて作成した「密入国白書」の紹介だ。出入国管理白書の事であるが、昔のマスコミはあえて「密入国白書」と呼んでいた。それだけ関心が深かったのだ。

戦後に出された出入国管理白書は、昭和34年以降おおむね5年おきに発行されてきた。

白書の統計には、朝鮮半島から密入国した者のうち、検挙された者の数が示されている。朝鮮人の密入国者については、戦後5年間の特殊な時期は除き、概ね1950年代は毎年2,000人、1960年代は毎年約1,000人という数字だ。

これらの密入国者は、国内で犯罪を犯した者とともに母国に送還する事になっていたが、政府は特別在留許可という仕組みを利用し、昭和49年の例では、概ね8割程度の送還対象者に特別在留許可が与えられている。特別在留許可というのは、送還すべき人に対し、法務大臣の権限で例外的に出される許可である。

今日まで何人の朝鮮人に特別在留許可を出したのかというデータは見つけていない。昭和50年以降は密入国者の数も減り、昔の新聞を見ても情報がないのだ。しかし言える事は、昭和40年でもその対象者は17,400人で、50万人程度であった終戦前から日本にいた朝鮮人の数と比較すると、割合としては小さい。

関連資料:追い返した以上の韓国人に特別在留を認めていた日本

ところで、終戦前から日本にいた朝鮮人は、どうして祖国に戻らなかったのだろう。昭和39年の出入国管理白書では以下のように分析している。

朝鮮人は、終戦後、解放された祖国へ、大きな期待をもって引き揚げたのであったが、国土が二分され、経済再建が思わしくなく、生活の見通しのたたないことから、これなら日本の方がまだよいとて、逆航するものが多くなった。一方、その当時に、日本において相当に自由にふるまえたことも、その引揚熱をさます一因となり、それまでに引揚を準備したもので思いとどまるものが多かった。

ところで昭和60年代に入り、密入国者の数は急激に増大し、戦後の朝鮮人密入国者をはるかに上回る人数が大挙して日本に押し寄せるようになった。特に平成に入ってからの密入国者数は膨大な人数で、10年前の平成17年(2005)には11,586人が不法入国で検挙されている。不法上陸(中国人が大半)も含めると、その数は12,276人であった。

戦後は朝鮮人問題が国家の重大課題であったら、密入国者の問題は大きく注目されていた。しかし平成の密入国(不正入国・不正上陸)の方がはるかに大規模であり、その主役は中国人だ。

嫌韓で盛り上がるのは結構だが、今日の最大の課題は在日中国人だ。嫌韓の陰で膨れ上がる在日中国人が及ぼす脅威に、もっと関心を寄せるべきではないだろうか。

 

変な所でつまずく安倍政権

今日はちょっといつもと違う話題である。

今年(2015年)末に仙台地下鉄東西線が開業する予定らしい。仙台市交通局のHPによると、東西線は大江戸線と同じシステムで、全長14.4km、13駅が建設される。総建設費は2,298億円だ。

仙台の東西線建設は、反対派が随分長いこと抗議してきたようだ。2005年、つまり今から10年前の市長選では建設の是非が争点となった。反対派の意見をネットで探してみると、いろいろ意見はあるが、巨額の建設費が問題となったようだ。

2,300億円というのは、地下鉄が1本建設される規模の投資である。プロ野球の球場は500億円のオーダーであり、サッカー場のスタジアムもそんなものだ。スカイツリーの建設は650億円。東京都庁となると1,500億円の規模になる。六本木ヒルズになると2,700億円である。

何が言いたいのかというと、今話題の新国立競技場だ。今日のニュースで、計画変更はせず、ただし事業費は変更して2,520億円で決定したとの事である。最終的にはもっと膨らむであろう。六本木ヒルズの事業費を超過する事は間違いない。上手にやれば競技場1ヶ所と地下鉄1本を建設できるお金で、外国人の設計事務所を儲けさせてオリンピック後は維持管理費を馬鹿喰いする施設を建設しようというのである。

仙台市民が、おそらく賛成・反対の議論で膨大なエネルギーを費やしてようやく決定したのが2,300億円の地下鉄だ。乗客数によっては将来的に赤字となって市の財政を圧迫しかねない規模の投資であり、将来の世代に負担を残しかねない事業であるが、民主的プロセスを経て、いわば市民が決定したようなものだ。

一方、新国立競技場はどうであるか。国立競技場がオリンピック後に使用料だけで投資を回収できるとは、とても思えない。そもそも年間の維持管理費をまかなえるかも疑問だ。通常の競技場だと500億円のオーダーとすれば、今回のデザインで余計に支払わなければならない金額は2,000億円だ。こんな無駄な金が、今の日本のどこにあると言うのか。

これは、JSC、日本スポーツ振興会なる団体が、国民不在の状況で決定した事である。資金は一体どこから湧いて出てくるのか。JSCが今後スポーツ協議の収入だけで払っていけると思っているのか。もちろん、JSCが全額負担するのではなく、国民負担となるのである。

日本は発展途上国にODAとして2000億円程度の資金はホイホイ提供する。しかし、これはローンであり、やがて返済されるものである。外見だけのために2000億円を余分に支出するというのは、狂気の沙汰である。

最近の安倍政権は失速状態にある。それも安保法制など突破すべき事で抵抗に遭って傷ついている、というなら救いはある。しかし、つまらない所でボロボロとつまずいていては、本当に必要な政策が実施できなくなってしまう。

世界遺産登録で見せた外交上の大失敗と、新国立協議場建設の無駄使いは、次の世代に深刻な負担となる。そして、それは後になって気がつくというものではなく、今この時点で人々に認識されている事なのだ。

ところで、日本のスポーツ界は、本来は使えるはずだった2,000億円相当のスポーツ振興費用を今後は諦めてもらいたいものだ。

 

百田発言の本当の間違い

自民党の勉強会で百田氏が発言した内容が、マスコミの反発を受け大きな騒動になった。朝日新聞は百田氏の「ツバルなどはくそ貧乏長屋」という発言を取り上げ、安倍政権と結びつけて報じており、安倍政権のダメージとなった。

小国を侮辱するかのような百田氏の発言に注目される事が多いが、本当に深刻な問題は、百田氏の認識が根本的に間違っている点にある。

百田氏の発言の本質は、軍隊を持たない国が何故軍隊を保有していないか、という点だ。9条信者たちが、世界には軍隊を持たない国が多数あるとして例示する中に太平洋の島々やコスタリカ、そしてアイスランドがあり、これに対して反論したものだ。

貧乏長屋という表現にある背景は明白で、要するに盗まれるようなものが何もないような貧乏国家は侵略されることもないし、戦争にまきこまれる事もない、だから軍隊を持っていない、という発想だ。

しかし、これは根本的に間違っている。

軍隊を持たない国は、侵略されても何も盗られるものが無いから軍隊を持たないのではない。その国を取り巻く様々な国際情勢や国内事情が要因となって、軍隊を持たないのである。

具体的に言うと、太平洋はアメリカ軍が圧倒的に支配している地域であり、ロシアや中国など侵略的傾向のある国からは遠く離れているから、太平洋諸国に軍隊は不要なのだ。戦争に備えるという事は、隕石が直撃する事に備えるという程度に非現実的な話なのである。

現在軍隊を持たない国は、アメリカが世界の警察官として機能している限りは侵略の心配がない国である。あるいは、戦略的に重要でない国家である。また、そもそもツバルのように人口が1万人程度であれば、軍隊の持ちようがない。

ある国の平和は、その国だけで決められる話ではない。ツバルは軍隊を持たない平和な国かもしれないが、それも国際環境に左右される話であり、一国だけが望めば実現されるようなものではない。第二次世界大戦では、太平洋の島々が日本軍に占領されたり、米軍の基地となったりした。

保守系の人間が、もし百田氏のように「貧乏だから平和」という発想で9条信者らと論争しているのだとすれば、「貧しくても平等で軍隊もない国」を理想とする左翼と同じ発想で言い合いしているだけに過ぎない。だとすると恐しい事である。

日本は中国やロシアから見れば太平洋に出るためには邪魔な存在であり、日本列島の軍事的な戦略価値は高い。このため、日本が日本だけの意思で平和である事は出来ない。現状ではアメリカとの同盟により戦争の危険性を減らす事が最善なのである。

 

「我こそは民意である」とうそぶく左翼メディアの思い上がりと特権意識

三権分立と第四の権力

百田尚樹、あるいはいわゆる報道威圧問題について、マスコミが強烈な抗議を表明し、現在も尾を引いている。6月25日に開催された自民党の「文化芸術懇話会」での百田氏と自民党議員の発言が、国家権力によるマスコミの弾圧だとされているのだ。

自民党は関係者も処分して安倍首相も平身低頭、全く自民党側が悪いという事にして、関係者は鉾を収めようとしている。政治家としては当然の事であろう。日本においては、マスコミが巨大な力を有しているからであり、ゴメンと頭を下げるのは、熟練した政治家の対応である。

かつて国家権力は絶大で、反対勢力は粛清される時代が続いた。権力批判は命がけであったが、近代に自由の思想が広まり、現代においては、報道というものは国家権力に対抗する国民の側の自由の砦のような扱いとなっている。

独裁国家では権力が報道を利用して民意をコントールする。だから、民主主義国家においては国家権力が報道に干渉してはならないという原則が出来る。しかしながら、いざ民意によって政権が樹立される民主主義が定着してみると、その民意を左右しうる報道が持つ巨大な力を誰がどのように利用するのか、というのが問題となる。

「報道威圧」問題に関して各メディアが様々な抗議などを表明しているが、いろいろ見てみると、「日本新聞労働組合連合」の声明がどうもマスコミ人間の本音のようである。

(沖縄タイムスと琉球新報は)昨年の知事選や衆院選で明確に示された「辺野古への新基地建設反対」「集団的自衛権の容認反対」という民意を反映し、市民目線の論調を守り続けている。

つまり、自分達こそは民意を代表しているのであり、自民党政権の政策に批判的になるのは当然だ、という事なのであろう。

また、沖縄タイムスの武富和彦編集局長は、「戦争につながるような報道は二度としないという考えが、報道機関としての姿勢のベースにある。」と言っているが、マスコミが「戦争につながる」と判断した内容を報道しないということが、「不偏不党、言論の自由を重んじ、公正な取材活動と報道(琉球新報、潮平芳和編集局長)」であると、どうして言えるのか。

そもそも、日米軍事同盟を否定し、中国に媚びる道のほうが「戦争につながる」のである。安保法制を否定し、米軍を日本から追い出し、憲法9条を存続させる事の方が、より戦争に近いのである。

しかし、日本のメディアはこのような意見は封殺し、自らが正義と決めた思想を「民意」とすべく、恣意的な報道をし、時には朝日新聞のように捏造までやってのける。

マスコミが絶対潰すと決めたら、たとえ選挙で大勝して就任した首相でさえ震えあがる。三流作家のような個人などは簡単に潰せる。今は利用価値があるから潰さないだけだ。

今回の騒動が明きらかにしたのは、本来は味方同士になるはずのマスコミと国民の間の大きな乖離だ。マスコミが巨大な権力である事が、はっきりと認識されたのだ。今後は日本でもアメリカのようにメディア監視団体がいくつか出来るであろう。今までネット内だけで消化されていたようなメディアの話題が、表に出てくるようになるのである。