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五輪反対派の選手応援はいけない事か?北京五輪の話だが。

史上最悪の五輪と言っても過言ではない。2020東京五輪の事だ。準備期間の醜聞や運営の不備に加え、開催中止論が叫ばれる中での開催によるドタバタ騒動で世界に恥を晒している。その中でも国内での感情的対立が深刻だ。反対派による五輪参加選手への誹謗中傷は特に酷い出来事であった。開催後も反対派によるネガティブキャンペーンは続き、五輪が日本国民を分断する役割を果している。

東京五輪の競技が開始されると、それまで政権批判のため五輪反対の動きを伝えてきたマスコミが日本人選手の活躍を報道するようになり、賛成派から嘲笑される事となった。立憲民主党や共産党など五輪反対派が選手の健闘を称えるような発言をすると、五輪賛成派だった保守派の評論家やネット民がそれを揶揄した。このため、現在のところ反対派が日本人選手を積極的には応援しにくい状況となっている。

私は武漢肺炎の問題とは無関係に、そもそも五輪反対であったが、そうであっても日本人選手の活躍には期待しているし、応援もしている。五輪に関する政治的主張と日本人選手への期待はまた別のものだ。枝野や蓮舫が日本人選手の活躍を称える事は当然であるし、これを五輪反対だったからという理由で封じるのは偏狭な態度だ。

五輪反対派が五輪参加選手を攻撃した際、賛成派はどう反応したのか。政治的論争に選手を巻き込むべきではないという主張ではなかったのか。だとすれば、本人の政治的立場が何であれ、皆で日本人選手を気持ち良く応援できる環境にすべきではないのか。

さて、五輪反対派の選手応援を揶揄する評論家・言論人は、主として保守派である。そしてその多くが北京五輪へのボイコットを主張している。北京五輪については、欧米各国の一部から延期やボイコットの意見が出ているが主流とはなっておらず、実施される可能性の方が高い。その時、五輪に反対しながら日本人選手を応援した蓮舫などをからかった北京五輪ボイコット派は、日本人選手を応援するのだろうか。

五輪で北方領土アピール、そして尖閣の危機

今日(4月6日)のニュースによれば、サーフィンのロシア代表チームが北方領土で合宿し、領土アピールをしたとの事である。東京五輪は7月に予定されており、日本は参加国とは友好ムードを維持する必要があるため、抗議は難しいだろう。

現在、国後島はじめ北方領土にはロシア人が居住しており、今回の件だけを取り上げて大騒ぎするというのは微妙な判断である。しかし、これは巧妙にも中国の尖閣における行動を正当化する要因となるだろう。

1960年の東京オリンピックでは、同年に中国が核実験を実施した。広島、長崎で多数の命を失なった被爆国日本は、オリンピック成功の観点から強い抗議も出来ず、その後、中国は核大国となっていく。

バイデン政権になってウイグル問題を中心に米国が対中強硬姿勢を示し、世界的にもウイグル人に対する中国共産党の弾圧をジェノサイドとして認定し非難する動きがある中、日本は東京五輪の成功のため周辺国との軋轢は避けたい状況である。日本のこのような姿勢は中国にとっては大チャンスであり、日本がぶち切れるギリギリの所を狙って、今後の既成事実化に有利となる行動を中国は取るであろう。

ウイグル問題で中国を批判する日本企業に対する制裁、嫌がらせは続くだろうし、日本人に対するスパイ容疑での逮捕も継続するかもしれない。香港での支配力強化、ウイグル人再教育施設の正当化、モンゴル人に対する漢化政策、チベット仏教への介入など、国際的に非難を浴びる行動も、日本が不問としてくれる程度を試す行動をするだろう。

そして、何よりも危険なのが尖閣情勢である。オリンピックの開催にあわせて尖閣で行動を起こされたら、日本はどう対応するのか。漁民が遭難したので一時上陸した、程度なら五輪の友好ムードを壊してまで日本は抗議しないのではないか、など中国は周到なシミュレーションをしているであろう。

日本は関係悪化を避けて中国を刺激しないようにしてきたが、日本側にとって事態は年々悪化しており、均衡状態が常に中国側に有利な方向に動いている。平和主義者の「相手を刺激しない事」や経済界の企業活動優先、そして親中派の中国共産党とのコネクション維持が、すぐにも起こると予想される日中戦争の素地を形成しているのである。

今から心配な2020年五輪開会式

2020年東京オリンピックの準備が、日本の国際的恥曝しの場となっている。コスト面で問題となったスタジアムの建設計画を変更するのに随分時間がかかった。もし当初予定通り建設されていたら、2020年以降のオリンピック開催都市には悪い前例となっていただろう。

ロゴマークについても、ネットが盛り上がってマスコミも大々的に報道し、結局撤回するという同じパターンで決着した。これには伏線があり、東京都がボランティアの服装を発表したのだが、これがまた不評で、ストレスが溜っていたところにロゴマークの盗用問題が出てきたことから、たかだかロゴマークでネットが盛り上ったのだろう。

東京五輪組織委員会、これがどうにも機能していない。ネット時代に五輪という巨大イベントを開催するという不幸はあるが、これまでの経緯をみるとネット民の難癖では言い訳のできない、自浄能力のない硬直的組織である事が明らかである。

こうしてみると、心配なのが五輪開会式だ。開会式は事前にネタをばらすと面白くなくなるから、テーマぐらいは公開して、全体の構成は一部の人達だけが知っている状態で準備が進むだろう。感動を与えるような、驚きの演出というのは、当日になるまでは隠しておいた方が良い。

しかし、ボランティアの服装が朝鮮通信使を模した、とされる疑惑もあるような状況だ。日本文化を表現するとして、暗に文明・文化が朝鮮を通って日本に来たのだ、という演出もあり得る。日本の良さを伝えるとして、かえって日本人を貶めてしまうような開会式になる可能性だってある。憲法9条はすばらしい、などという政治的メッセージも挿入される心配だってある。

今の五輪組織委員会の状態だと、開会式のテーマが伝えられた直後から、具体的な中身が定まっていなくてもネットからの攻撃を受けるのではないか。信頼が地に墜ちているのである。

今回のロゴマーク撤回については、安倍首相の介入はなかったようであるが、五輪組織委員会が機能不全の状態だと、ものごとを決めるのに総理大臣の裁決に委ねるような情けない状況になりかねない。そして、それは安倍政権の独裁色を強める事になってしまうのである。

強い指導者は頼もしいが、それは日本の政治には似合わない。しかし、安倍首相には五輪に関してはあと一度だけ、権力を見せつけて欲しい。それは、五輪組織委員会のトップ交代である。

 

出てくる人物皆年寄りばかりの新国立競技場

五輪スタジアムの建設を巡って混乱が続いている。安藤忠雄が審査委員長を努めて決定した新国立競技場に意義を唱えたのは、建築家の槙文彦だ。東京五輪組織委員会の委員長の森喜朗は、安藤忠雄が選定したザハ・ハディドのデザインを推して、2520億円という巨額のスタジアム建設を決定した。そして東京五輪を推し進めたのは石原慎太郎である。

この問題は色々と話題になっているので、詳述しない。しかし多くの日本人が巨額の建設費と、現計画をごり押しする日本オリンピック委員会(JOC)、そしてその決定を正当化する現政権にショックを感じたことだろう。

私も同様に、この騒動にはあきれている。しかし、もっとショックなのは、出てきた人物が皆老人ばかりである、という事だ。

安藤忠雄は1941年生まれ、現時点で73歳、槙文彦は1928年生まれ、現時点で86歳である。森喜朗は1937年生まれの78歳、石原慎太郎は1932年生まれの82歳だ。ちなみに舛添要一は1948年、つまり戦後生まれの66歳である。

今回の件ではメディアに登場していないが、磯崎新(86歳)や隈研吾(60歳)など、日本が誇る建築は多数いる。私がショックだったのは、新進気鋭の若き建築家が、今回の件で登場していない事である。

そう思ってネットで色々調べたが、私自身建築の専門ではないので現在の建築家について正しい判断はできない。ただ、自分が知っているような、メディアにも登場する著名な建築家はほとんど高齢者ばかりなのだ。ニュースで登場した有名な建築家で若手としては、ニュージーランドの地震の際に話題になった事が思い出される程度である。

現在の日本は、老いた大国だ。昔の栄光にすがって自画自賛している惨めな国だ。私はネット経由で共産党シンパからネット右翼に転じた者だが、ネットに溢れる日本礼賛の記事は古き良き時代の話ばかりで、うんざりするものばかりだ。

残念ながら、日本の官僚も未だに「日本の技術は優れている」などと思い上がっている。特に痛々しいのはODAの分野であり、優れた日本の技術や制度を遅れた途上国に教えるのだ、という態度が感じられる。実際にはコストパフォーマンスに優れた他国の技術に、ガラパゴスの日本技術が敗北しているのだ。

それは、結局は世界に通用するような若き日本人が不足している現状を反映している。東芝の醜態も、SONYの凋落も、日本の現実なのである。

私のような世代の人間にできる事は、未来に負の遺産を残さず、将来の若者に活躍の場を与える事だ。東京五輪がダサいまま終了してもかまわない。その後の日本で次々と若い建築家、技術者、政治家、文化人が大いに活躍できるような社会を残すことが重要なのだ。

 

舛添の訪韓で東京五輪はハングルだらけに?

舛添東京都知事は7月23日に韓国を訪問し、ソウル市との間で合意書を締結した。合意書では幅広い範囲で東京都とソウル特別市との間で交流を進める事が約束された。

合意書にはオリンピックでの協力が含まれている。東京五輪が対象で、1988年のソウル五輪の経験共有とスポーツ交流という点が記載されているが、ソウル五輪の経験共有が具体的に何を差しているのかは不明だ。

このため想像を働かすしかないのだが、交流の過程で韓国人旅行客をもてなすため、と称して東京都内の標識や五輪会場、交通機関のあちこちにハングル文字を多く採用する事になるのではないか。また通訳が必要だという事で、韓国語の分かる在日韓国人を東京都が採用する、という可能性もある。世界中の人たちに在日も日本の一部だと紹介するため、日本の中の韓国というテーマを随所に盛り込んでくる事もありうるのではないだろうか。

東京五輪をあたかもソウル市との協力で実現させたかのように演出する可能性もあり、また日本の文化を紹介する中で実は韓国を売り込む事になっていた、という結果になるとも考えられる。

合意書には観光についても触れており、東京都が韓国人観光客の重視に偏向するおそれがあると共に、日本から韓国への観光宣伝まで東京都がやらされる可能性がある。

ところで、平昌冬季五輪については今回の合意書では触れられていない。合意したのは、あくまで東京五輪である。しかしながら、都知事外交に浮かれている舛添知事の事である。平昌オリンピックについても何らかの協力関係を結びたいと考えている事だろう。

それより問題なのは、地下鉄の安全対策まで交流を進めようとする点だろう。今後、東京都交通局や、東京都が株主となっている東京メトロでは、安全対策の中枢となる指令所を韓国からの視察団に公開する事になる。またテロ対策関係の情報提供も行なわれるが、韓国からはソウルの地下鉄関係者だけなく、治安当局からも情報収集に来るだろう。韓国に提供される地下鉄のテロ対策情報が、第三者に渡る心配は無いのだろうか。

韓国だけが世界ではない。2020年の東京五輪は、日本人の世界に対する視野を広げる良い機会であり、日頃馴染みの無い国々との交流を深めるべきである。「おもてなし」の受益者が特亜であってはならないのである。