亀井静香(自民)の不気味な予言、日韓戦争

今から約30年前(1986年)のことである。自民党の亀井静香は、とある雑誌の中で次のように発言した。

『将来の20年、30年、情勢はどう変化しても、日韓関係がよくなっていれば戦争にはならん。いまのように日本が泣く子と地頭には勝てんと、土下座外交やっていると、今度は日本にストレスがたまってろくなことにはならない。節度も守らず日本にどんどこどんどこ干渉してくる。そうなれば将来戦争にならんとも限らない。』

当時は中曽根首相の時代で、タカ派政権ということで左翼が猛烈に自民党を攻撃していた頃である。政権の側も左翼メディアの全盛という背景を理解せず、いわゆる「失言」を繰り返し、同時に韓国に対して謝罪も繰り返していた頃である。ちなみに当時の韓国は全斗煥政権でまだ民主化はされていない時代である。

慰安婦問題前夜の藤尾大臣の発言と中曽根首相による罷免を考える

さて、幸いにして亀井氏の予言は見事に外れ、日韓関係の悪化にもかかわらず戦争は勃発していない。社会主義陣営の崩壊や韓国の民主化などの国際情勢の変化の中で、一旦は日韓関係の緊張が緩んだためである。また、国内では従軍慰安婦の捏造が論破され、当時の反日勢力が一時的に衰えた事も影響している。

そして現在においては、安倍政権が土下座外交を止めている事から、亀井氏の前提条件自体が成立しなくなっている事も戦争という異常事態が生じていない理由の一つである。

そもそも日本側は韓国との戦争など全く考えていない。自衛隊もまさか韓国を敵とするような想定は無いだろう。それだと日米同盟の前提が崩壊するからだ。亀井氏の予言から30年を経て、同氏の発言が戯言の類であったことは、喜ばしい事だ。

日本では嫌韓ムードが支配的になっているが、「ストレスがたまってろくなこと」になっているという状況ではない。ストレスというものは精神的に長くは続かないが、嫌韓は長く続いている。これは、嫌韓を「怒り」としてではなく、「笑い」として楽しんでいるからである。

しかし、視点を変えると、「将来戦争にならんとも限らない」という予言は生きているような気がする。亀井氏の発言は日本側の世論に着目したものであったが、一方の韓国では日本企業が韓国に進出している頃も、日本で韓流ブームが起きている頃も、ずっと日本に対する戦争準備を進めているのである。日本に戦争する気がなくても、韓国にはその気が満々なのだ。

対馬を所望していた李承晩〜韓国による対馬侵略の可能性

最近では韓国軍の艦艇には、日本と戦ったとされる人物の名前を冠する事が常態化している。また、竹島の防衛訓練を繰り返しているが、日本を敵と見做しているとしか考えられない。日本側からすれば、日韓戦争など双方に全く利益の無いことと十分理解しているが、韓国という国民全体が困ったちゃんの国は、本気で仕掛けてくるかもしれない。

六韜三略と現代支那の戦略

周の文王が太公望に次の質問をした。「文伐の方法は?」文伐とは軍事力を直接行使せずに討伐する事である。これに対し、太公望は12の方法を列挙した。

  1. 相手の要求に対し、相手が喜びそうな対応をして驕らせる。
  2. 相手の忠実な部下を味方にして、分断させる。
  3. 相手の側近に賄賂を渡し、味方にする。
  4. 美人を送るなどして相手を娯楽に没頭させる。
  5. 相手の部下を、その上司より厚遇する。また相手が信頼している部下が交渉に来ても合わず、他に人間と会う事で、その部下を疑うようにさせる。
  6. 相手の優秀な人材を自分の味方につける。
  7. 相手の部下を買収し、仕事をサボらせ、蓄えを減らさせる。
  8. 相手国の君主と仲良くし、君主自らこちらに協力的になるようにすれば、その国は必ず負ける。
  9. 相手国の君主を誉めて良い気にさせて、投了したふりをすれば、その君主は思いあがって政治をしなくなる。
  10. 相手国に対してへりくだって心をつかみ、何でも言うように行動して味方と思わせれば、時期が来た時にあっさり滅ぼせる。
  11. 相手側の部下に、今より好条件で待遇する事を約束して、当方の人間を相手国組織に送り込んで工作すれば、もうその国はもたない。
  12. 相手国の乱臣をこちらの味方につけて、君主を困らせておく。

これは「六韜」のうちの「武韜」に「文伐」として記載されているものである。もとは漢文で、ネットを見ても色々な現代語訳があるが、ここではなるべく短くなるようにまとめた。

この内容から導き出されるのは、「自分と親しくしようとする者には下心がある」というもので、人間不信に陥るので日常生活ではあまり意識しない方が良い。しかし国家間となれば、この文伐を無視する事は出来ない。特に漢民族の血をひく今の中華人民共和国は、「六韜」を現代的に解釈して実践している。

日本が嫌韓に夢中になっている一方で、中共による対日融和工作が進んでいる。それは、日中友好、国内世論の分断、政治家やオピニオンリーダーの篭絡、親中派の育成、国家の混乱など、様々な形で進行していると理解すべきである。

地下鉄にサリンを撒く日

もう先月の話になる。東京メトロのある駅で降りた時の事だ。ドアが開いて目に飛び込んできた壁のポスターに愕然とした。『広島に原爆を落す日』と大きな文字で書いている。この挑発的な、地下鉄利用者の多くに宣戦布告するようなメッセージは、「つかこうへい」が著した作品のタイトルであり、その上演にあわせてポスターが地下鉄の各駅に貼り出されているのだ。

『広島に原爆を落す日』の作品自体は昔からあったもので、それが最近また公演される事を知っている人には特に違和感はなかったかもしれない。しかし、私にとってはあまりに不快なタイトルであり、原爆の被害を受けた日本人なら絶対に考えつかないようなタイトルに大きな衝撃を受けたのである。ちなみに「つかこうへい」は在日韓国人である。

『広島に原爆を落す日』には主語がない。ポスターの意図は作品を読むか、劇を見なければ分からないが、タイトルだけで判断すれば、その主語は支那・朝鮮・韓国人だ。2011年の東日本大震災の後、韓国人はサッカーACLの試合で震災をお祝いします、という横断幕を広げたが、彼等は日本に破滅が来れば良いと本気で考えているのである。

今年は特に戦後70年という事で、左翼の側から様々な反日宣伝が続いている。そのような中で『広島に原爆を落す日』というメッセージをポスターにして日本人に伝えるのは、全くの侮辱行為であるばかりか、ある種の脅迫でもある。さすがに日本に原爆を落とせる国は限られているが、近々何かを起すぞ、という脅しのメッセージにはなる。一方で在日韓国人にとっては、実に溜飲の下がる痛快なメッセージであろう。

おそらく東京メトロの担当者は作品の内容や、そのような公演があると知っていてポスターを貼る事を認めたのであろう。しかし、何も知らない日本人が、どのような感情を持つか、思いをめぐらせる事が出来なかったのであろうか。

もし、東京メトロの霞が関駅の壁に『地下鉄にサリンを撒く日』と、タイトルがひときわ目立つポスターを貼るとすれば、東京メトロは承諾するであろうか。地下鉄サリン事件ではPTSDに悩まされている人もまだ居るそうだから、嫌な顔をするだろう。しかし、東京メトロは『地下鉄にサリンを撒く日』というポスターを、『広島に原爆を落す日』と同じ価格、条件で認めなければならない。でなければダブルスタンダードになってしまう。

子供の頃、共産党員だった親の影響で赤旗新聞を毎日読み、広島・長崎の悲惨さを繰り返し教え込まされてきた自分にとって、8・6、8・9というのは8・15同様、非常に特殊な響きがあり、厳粛な気持ちにさせるものだ。多くの日本人もそうであろう。広島・長崎の原爆を題材にする時は日本人の気持ちに配慮しなければならない。

薄気味悪い日本礼賛が仕掛けるもの

昨年(2014年)は嫌韓本の出版が頂点に達した一年であった。今年は日本を自画自賛する番組や書籍がブームになっているらしい。といっても私はテレビを見ないのでテレビ番組の事は不明だし、本屋には良く行くが、特に日本礼賛がブームであるような感じはない。

嫌韓批判と同じで、日本を褒める風潮が気に入らない人達が、ことさら話題を大きく取り上げて、これ以上日本の良い所が知られる事がないよう、牽制しているのであろう。問題が無い所で問題をつくりあげ、自分達の都合の良い方向に世論を誘導するいつものやり方である。

日本人が日本を礼賛する事は、何も問題ないし、社会にとって良い効果が期待される。つまり、良く生きている日本人、がんばっている日本人、社会に貢献している日本人の姿を見る事で、自分自身の日頃の行いを反省し、襟を正す良い機会になるのである。したがって、最近の「日本すごい」ブーム(本当にそんなにブームになっているのかは知らないが)は特に問題視するような事ではない。

一方、ここ数年気がかかりな事がある。それは、Yahoo Japanやgooなどのポータルサイトで、ほぼ毎日と言って良いほど、中国人や韓国人による「日本すごい」記事が掲載されている事だ。「日本に来て驚いた××」とか、「中国ではあり得ない××」などの見出しで、訪日した特亜人による日本ヨイショ記事が多く目につく。

とかく外国人の視線を気にする日本人だから、このような記事を出せばアクセスを稼げるのは理解できる。しかも、このような内容は、右とか左とか思想には関係なく受け入れられるものだ。おそらく中国嫌い、韓国嫌いの人達も心地良く読んでいるだろう。

しかし、これは形を変えた対日融和工作である。つまり、反日は政府がやっている事で、一般の中国人、韓国人は日本の事を好きなのですよ、という意識を日本人に植え付けるためにやっている事である。

現在、左翼が必死になって「中韓が反日なのは安倍政権を始めとした右翼勢力の責任であり、中国も韓国も対日友好を望んでいる」という世論形成を目指している。これは失敗に終っているが、メディアの工作は驚くほど勢いがある。ほとんどの偏向ニュースはネットであっさり暴露されているが、水面下での静かな工作が注目される事はない。

メディアが嫌韓を批判し、日本人の自画自賛に苦言する一方で、特亜の反日は見せかけで本当は親日なのだという世論工作。日本の左翼や中韓が目指すのは、日本の側が頭を下げて友好の態度を示す事であるが、そのような企みは着々と進んでいるようで気味が悪い。

八紘一宇が禁句なら平和だって使えない

もう先月の話になるが、三原議員が国会の場で日本が昔から大事にしてきた価値観として八紘一宇の思想を紹介した。これにはメディアや左翼言論人が猛反発するとともに、保守系の中にもとまどいが生じたようだ。

八紘一宇というのは、「世界は一家」というある種のお花畑的平和思想の一つであるが、戦争中にアメリカがプロパガンダの中で、タコの形をした日本の政治家が八本の足で世界を侵略してく描画とともに広めた概念が一般的となっている。これは、戦後になって戦中のプロパガンダをあくまで正当化し継続していったアメリカが日本に押し付けた概念だ。八紘一宇は、戦後の米軍占領下において、公的な使用を禁止された。

個人的には、八紘一宇を礼賛するつもりもないし、左翼のように敵視するつもりもない。それは、ある一時代に「グローバリズム」を意味する用語として利用されたのであり、今日のグローバリズムが良い面も悪い面もあるように、また人によって定義がまちまちであるように、それは多様な側面をもつ用語なのである。

しかし、左翼が主張するように、八紘一宇が軍国主義のスローガンとして利用された、という理由で、まるで言論弾圧のようにその使用を禁ずるような動きは明らかにおかしい。ある用語が戦争を正当化するため、あるいは戦意高揚のために利用された、という理由で今日の使用が禁じられるなら、「平和」の2文字こそ、最も忌むべき単語ではないのか。戦争というは、「平和」を理由に戦われてきたからである。

さらに言うと「社会主義」も危険用語である。ソ連のチェコへの軍事侵攻は「社会主義」理念のために実施された。「共産主義」もそうであり、文化大革命やらカンボジアの大虐殺を引き起こした思想であるから、八紘一宇を批判するほどの人は決して口に出してはならないだろう。自由や平等、といった概念すら、戦争を正当化するために利用されてきたが、それらが禁句となる事はない。

八紘一宇が問題となるのは、日本人が使える日本語を次々に攻撃して国民を萎縮させようとする左翼や外国勢力の戦略によるものだ。支那という表現を消し、バカチョンカメラという単語はいつの間にか差別用語扱いされるようになった。最近では「粛々」という言葉も使ってはいけないらしい。

さて、今日では八紘一宇的な思想をするのはむしろ左翼の方だ。つまり、「世界は一家」なのだから日本はその富を隣国に与えよ、というものだ。それはギブ・アンド・ギブのグローバリズムであり、日本を無国籍国家にしてその伝統を破壊し、世界中に人に日本を開放しようという思想だ。もちろん、中国や韓国にとって都合の良い話であり、おおっぴらな対日工作の一貫と見なしても良いだろう。

保守系の人の中には、戦前の思想を大事にすべきという人もいるが、時代も違うし、むしろ保守派こそ戦前の日本の思想からは脱却すべきだ。なぜなら、戦前の思想というのは、白色人種に対して有色人種が対等の地位になる、というのがあり、この事から八紘一宇やら大東亜共栄圏なる理念が誕生した。しかし戦後アジアやアフリカの人々が独立意識に芽生えた事で日本の役割は終了したのである。今日では全く状況は異る。八紘一宇は、歴史の一時代の思想としては意味があるが、今日の日本では重要な意味はない。