エボラ出血熱テロに備えるには

リベリアなど西アフリカ三ヶ国におけるエボラ出血熱による死者が1000人を超えたそうだ。感染拡大が阻止される事が望まれるが、もしアジアにまで拡大するとすれば、東アジア人で最初に感染するのは中国人であろう。特に根拠があるわけではなく、アフリカでは現地で働く中国人が非常に多いから、という単純な発想である。

こんなシナリオを考えよう。アフリカの建設現場にいる中国人が、休みを利用して日本にいる友人家族に会いに来日した。友人家族は多数の中国人を呼び寄せ、再会を祝った。その後、来日した中国人は急死。日本における最初のエボラ出血熱の発生と確認されたが、その中国人と会った他の中国人達は東京の各地に戻り、繁華街や野球場で日本人の友達と交流を深めていた・・・。

全く悪夢のようなシナリオで、そもそも感染したアフリカから日本まで発症せずに辿りつけるかという疑問はあるが、アフリカでは現在多数の中国人が働いている事、日本では在日中国人の数が急増している事、その中国人が日本人社会に友達として入り込んでいる事、といった現状を考えると、このような事故があり得ない話ではないだろう。

しかし、言い方を変えると、事故に見せかけたエボラ出血熱テロを引き起こす事が可能である、という事でもある。自ら感染して死亡する覚悟がある中国人が多数日本にいれば、可能な話である。わざとやったという証拠は残らない。たまたま感染者が日本にいる同胞と会っただけの話だ。

別に戦争を目的としなくても良い。親中政権を樹立させるために、現政権の首相が休暇を取ってゴルフでもしている時期にこの事態を引き起こせば、政権の支持率低下に役立つかもしれない。

現在、日本には70万人近い中国人が居住している。その数は増える一方だ。安倍政権は外国人労働者を多数受け入れる予定とされているが、もちろん、その殆どは中国人が占める事になる。

この中に工作員が紛れ込む事は容易だ。現代ではエボラ出血熱テロのように、少人数で社会を混乱させる事が可能な世の中である。増え続ける敵対国家の国民は、日本の治安にとって重大な脅威なのである。

韓国の独立記念日

毎年、8月15日が近づくとアメリカはその日を独立記念日としている国に祝辞を送っている。韓国も8月15日を独立記念日としているため、その対象国に含まれている。

日本でも8月15日は特別な日だ。その日、ポツダム宣言受諾が国民に知らされ、敗戦国として受難の時代を迎える事になる。日本の敗戦を知った朝鮮人は、その日を境に豹変し、あたかも征服民にでもなったかのように、日本人に対して凶暴な仕打ちを始めたのである。

日本人は民間人であっても収容所に入れられた。日本による朝鮮統治時代には、朝鮮の一般民間人にそのような扱いをした事は一済なかったのにだ。後に大韓民国となる朝鮮半島南部は、北側に比べるとましな方であった。米軍による統治下に置かれたからである。このあたりの事情は「私が朝鮮半島でしたこと(松尾茂)」という伝記に詳しい。

1945年9月2日に日本が降伏文書に調印し、同9月9日には朝鮮総督府が米軍への降伏文書に調印した。これにより朝鮮南部は米軍の軍政下に置かれる事なる。

1948年8月13日、大韓民国が建国され、朝鮮半島南部は日本よりも早く米軍の統治下から独立した。日本が主権を回復したのは1952年4月28日で、沖縄の場合は1972年5月15日である。

韓国人が政治的理由から8月15日を建国記念日とするのは自由である。ただし大韓民国の建国は8月13日であり、日本が降伏してから3年目の事だ。韓国人が本当の意味での独立運動を行い、多大な犠牲者を出しながらも独立を勝ち取ったのは1945年から1948年までの3年間なのである。

米軍政下からの独立を無視するかのような歴史の扱い方は、韓国の独立のために闘った先人達への冒涜ではないだろうか。

ちなみにアメリカが8月15日が独立記念日となっている各国に祝辞を送るのは決って8月13日である。偶然とは言え、皮肉だと感じるのは私だけだろうか。

どの国で語られている歴史が正しいのか

韓国は日本人が歴史に関しては嘘つきだと本気で信じている。一方、中国は平然と嘘をつく事による政治的プロパガンダ効果を十分理解した上で、日本が嘘つきだと主張している。日本は、もちろん自分達の方が真実を語っていると思っている。

歴史というものは、国家が正史として定めたものが必ずしも真実というわけではない。学問の自由と言論の自由、そして民主主義が発達し、科学的思考方法が成熟した国家においては、嘘は自然淘汰されて真実が残るものだ。もちろん、プロパガンダとしての嘘は残るが、透明性の高い民主国家でかつ民度の高い国であれば、自然と真実の歴史が語られるようになるはずだ。

韓国はどうだろうか。長く軍事政権が続き、80年代後半に一応、民主化された国である。しかしながら、国家全体が反日思考に染まり、親日派は弾圧を受け、少しでも日本寄りの発言をすると大変な事になってしまう国だ。韓国の言論封殺は具体的なものであり、例えば親日的なホームページは削除されてしまう。最近では「テキサス親父」のYoutubeは遮断されてしまった。

中国はどうか。中国共産党が定める事だけが事実となっている国家である。真偽を確かめようにも報道の自由がないため検証出来ない。

日本では、1945年から1951年までアメリカの占領下にあって自由な報道が制限され、公職追放によって特定の考えを持つ人々が追放されたが、主権回復後は言論の自由が獲得されている。もちろん敗戦という歴史経緯及び戦勝国アメリカの監視があるという特殊事情があるので、その辺は考慮しなければならない。

一方、言論が自由である国では、捏造さえも蔓延してしまう危険はある。それがマイナーなテーマであれば反論検証する機会も失なわれてしまう事もあり得る。それでも検証可能な事実をもとに議論する土壌があれば、歴史の間違いは正されていくはずだ。

従軍慰安婦問題の原点とも言える吉田清治の証言は、早い時期に嘘である事が判明した。これは自由な取材活動と民主主義の土壌があって可能な事であった。しかしながら、吉田清治の嘘をもとに従軍慰安婦の報道を続けた朝日新聞のようなメディアがあるために、国民は無駄な議論に時間を費やする事を強いられてしまった。

韓国は日本における従軍慰安婦問題の議論を、右翼の妄動だと主張している。しかし日本における言論の動向は日本の民主主義、言論の自由の結果なのであって、右傾化なのではない。朝鮮戦争時の米軍慰安婦やベトナム戦争時の韓国軍による婦女暴行が封殺されているような国と、右翼から共産主義者まで議論に参加できる国と、どちらでより真実が語られているだろうか。

平和団体よ、原爆死亡者を政治利用するな

今年の長崎原爆記念日は、集団的自衛権行使容認の閣議決定を批判する勢力に政治的に利用される結果となったようである。田上市長の「平和宣言」なる政治声明には、事前の報道で予想されたよりは抑えられた内容ではあったが、あたかも安倍政権が平和に反する政治を行なっているかのような印象を与えるものであった。

そもそも原爆記念日に「平和祈念式典」なる集会を開く事自体おかしい。広島では14万人、長崎では7万人の民間人が原子爆弾によって殺害されたのである。本来、この日は原爆被害者が味わった地獄の苦しみを哀れみ、死者の魂を悼み、心の平安を祈る厳粛な日であるはずだ。

「平和」というものがあくまで高度に抽象的な概念に過ぎぬのであれば、それも良い。しかし広島も長崎も、極めて具体的な政治活動に利用されてきたのが実態だ。

広島、長崎の原爆を政治利用している集団に原水協(原水爆禁止日本協議会)と原水禁(原水爆禁止日本国民会議)がある。これらは路線の対立で分裂し、あまりの政治色の強さに凋落傾向にあるが、その思想は脈々と今日の平和団体に引き継がれている。そして毎年のように、原爆による被害者を政治利用しているのだ。

原爆で全身を焼かれ苦しんで死んでいった死者達が、天国で安倍政権の集団的自衛権に関する閣議決定に反対しているのだろうか。かつて地上で生活してた時の彼等の祖国が、今や中国や北朝鮮の核ミサイルの射程距離内にあって軍事的圧力を受けている中で、戦後の平和ボケした政治主張に賛同していると言えるだろうか。

平和祈念式典での平和の誓いなるものは、原爆による死者の魂には届かない。原爆で死んだ人達に思いを馳せる時には、むしろ次のような謝罪と誓いが必要なのだ。

我々は、残虐な手段で広島・長崎の人達を殺害したアメリカに対しては復讐する事が無い事について許しを乞わなければならない。彼等が生きていた時代の日本を、戦後長い間貶めてきた事を謝罪しなければならない。そして、二度とこの国土に原爆が投下される事が無いよう、あらゆる手段を講じる事を誓わなければならないのだ。

舛添は暴力団と在特会の取締り、どちらを優先するのか

舛添都知事がヘイトスピーチ規制にこだわっている。都政の最大の課題がヘイトスピーチ問題なら、東京都民は実に幸せだ。だが実際には取り組むべき課題は山積している。

東京五輪に向けての課題の一つは、増大する公共事業から暴力団を排除する事である。また、危険ドラッグの蔓延を防止する事も重要な課題だ。仮にカジノ特区が東京に出来た場合(私はそれには反対だが「カジノは巨大な売春婦付パチンコ屋だ」)、暴力団に活躍の場を与えてはならない。そうでなくても膨大な来日外国人を狙った風俗店を規制しなければならない。

そもそも東京五輪とは関係なく、韓国人や中国人の売春婦を働かせているヤクザは徹底して取り締まらなければならない。特に韓国人売春婦の存在は、下手すると日本が女性の人権を侵害する国としてのレッテルを貼られる根拠とされてしまう。

暴力団だけではない。街宣右翼による威圧や示威行動、大音量での宣伝は東京にとっての大問題であり、東京五輪に向けて根絶させなければならない。

これらの課題に比べれば、在特会のヘイトスピーチ禁止は優先順位として決して高くはない。在特会は臆病なネット右翼がわずかばかりの勇気を出して外に出ただけの弱小集団なのである。在特会10人の放置はヤクザ1人の放置よりはるかに安全なのである。

舛添都知事は韓国訪問ですっかり舞い上がって有頂天になってしまった。東京が左翼の手に落ちてはいけないという都民のマイナス思考で当選しただけの政治家なのに、全くの英雄気取りである。このような政治家はパフォーマンスを重視するあまり、政策の優先順位を間違えてしまう傾向にある。

暴力団は在日が幹部になるなど、日本の社会では最も日韓友好が進んでいる集団である。しかし日本の安心・安全にとっては危険な存在であり、徹底した排除が必要だ。

在日トップの暴力団と、弱虫集団の在特会、どちらの規制を優先するのか、是非、舛添都知事に聞いてみたいものである。