集団的自衛権問題~かくれんぼに例える

安倍政権の集団的自衛権に関する閣議決定が色々と議論されているが、そもそも諸外国では当然認められている権利を一つ一つ積み上げていかなければならないのだから日本は大変だ。

世界中の人々が参加するかくれんぼに例えよう。日本以外の参加者は、どこに隠れて良い。もちろん法律の許す範囲であり、人の家に勝手に入り込むなどの違法な事はしてはならない。

一方、日本からの参加者には特別な自主規制が課せられている。隠れても良い場所が細かく規定されているのだ。例えば、公園の樹木だけ隠れて良いとしよう。もちろん、それでは明らかに日本人だけ不利だ。

さて、それではあんまりだと言うので、阿部君が階段の下にも隠れる事が出来るようにしよう、と提案したのだ。ところが、他の日本人から「お前はスカートの下を盗撮するつもりか」と反対されてしまった。なので、「スマホは使わない」とか、「女子校の通学路は除外する」とか約束して何とか認められたようだ。他の国の人達は、そもそも盗撮は違法なので、そんな事は話題にもならないのである。

日本以外の国では、軍隊は国際法に違反しない範囲内であらゆる権利を留保している。日本だけが、行使出来る権利を逐一定めているというのが集団的自衛権を巡る議論の本質だ。

集団的自衛権の行使を認めるという単純な事でさえ、左翼のプロパガンダの前に苦戦しているのは、一つ一つ可能な事を追加しようとするたびに、いちゃもんをつけられ、条件闘争が必要となってしまう点なのである。そして「スマホは使わない」等の規制を次々に追加していく事が、日本があたりまえの国家となる事を何としてでも妨害する左翼にとっての腕の見せ所となっているのである。

繰り返すと、世界中の国々では国際法のルールを厳守するという事だけで済んでいる話が、日本だけが国際法から離れた世界で奇妙な自主規制を課しているのである。

核全廃したら露に侵略されたウクライナ

今から20年前の1994年、ウクライナは核不拡散条約(NPT)に加盟し、旧ソ連から引き継いた核弾頭1900発を廃棄する事を決めた。これは1994年の「ブダペスト覚書」によるものである。

ブダペスト覚書は、1994年12月5日にブダベストで開催された欧州安全保障会議(CSCE)の場で、アメリカ、ロシア、イギリスとウクライナの間で締結されたもので、当時世界第3位の核弾頭保有国であったウクライナのNPT加盟と、その核弾頭の全廃を取り決めたものだ。

ウクライナは核の放棄の代償として、自国の安全保障体制の確立を求め、アメリカやロシアはウクライナの領土一体性に関して軍事力を行使・利用しない事を約束した。

その後、核弾頭は1996年までに廃棄され、ウクライナは非核国家となった。また核弾頭の材料となる高濃縮ウランも2010年までにロシアに引き渡した。

20年前はクリントン政権時代で、まだ冷戦後でアメリカの国力が圧倒していた頃だ。核廃絶と引き換えにアメリカがウクライナの平和と安全を保障するという方式は合理的であったかもしれない。

今日、アメリカの軍事力は衰退し、オバマ政権になってからはアメリカによる平和秩序の維持が大きく揺らいでいる。2014年3月、ロシアは電撃的な軍事作戦でクリミアを一気に掌握し、3月18日の住民投票でクリミアのロシア編入を実現させた。その後はウクライナ国内でロシアの支援を受けた武装集団が武力行動を続け、国内は不安定な状況になっている。

核廃絶によって平和を手に入れたはずのウクライナが、領土を侵略され、戦争の危機にも直面しているのである。かろうじて主権を維持しているのは、まがりなりにも軍隊が残っているためである。

日本も無関係ではいられない。安全の保障と引き換えに核を放棄するというウクライナモデルは、もはや北朝鮮には受け入れられないだろう。平和の約束など全く信用ならないからだ。

地域の安定と平和はその時々の大国の力関係で決まる。日本の平和も、自由主義陣営と共産主義陣営の力関係、米国対ロシア・中国、朝鮮の南北分裂という国際情勢の中にあって、自衛隊が一定の国防力を維持する事で保たれているのである。決して憲法9条ではないのだ。

陰謀だと信じていた大韓航空機撃墜事件

1983年9月1日、大韓航空機が樺太沖でソ連軍に撃墜され、269人が死亡する事件があった。最初は謎の行方不明事件という話であったが、徐々にソ連が撃墜したらしいという話になり、最終的にはソ連軍が撃墜した事が明らかとなった。

この事件は、個人的には非常にショッキングな出来事であった。共産党一家であった私は、当然東側陣営の支持者であり、ソ連はあこがれの国でもあった。ところがニュースでは、そのソ連が民間機を撃墜した悪者であるかのように扱っている。何かがおかしい、と思っていた。

撃墜されたのが大韓航空機である、というのも癪にさわる話だった。当時は今と違って、韓国は日本の保守政党と結びつき、日本の左翼は反韓であった。共産党も同じであり、全斗煥大統領などは左翼から見ると悪党の側であったのだ。そういった背景があったので、ソ連が悪くて韓国が犠牲者だという国内のニュースには非常に不満であった。

この当時は子供だったので詳しい内容に基づいて判断していた訳ではない。ただ、その後は、大韓航空機がわざと経路を逸らしてソ連の領空に入り込み、多数の民間人を犠牲にする事でソ連を悪者に仕立てたのだ、という陰謀論にすがっていた事を思いだす。

インターネットなど無かった時代だ。そのような陰謀論をどこから仕入れて来たのか。恐らくどこからでもない。赤旗を日常的に読み、共産党の色眼鏡で世の中を見れば、子供でもそのような考えは持つようになるのだ。

この時のソ連の指導者はアンドロポフ書記長。我が家ではレーガンや中曽根は軍国主義者であり、アンドロポフ書記長はソ連を改革する英雄だった。

その後、ソ連は威光を失い、没落する事になる。東側陣営の正義を徐々に失っていった日本の左翼は、80年代の北朝鮮工作員による日本人拉致の噂と1987年11月29日の大韓航空機爆破事件、そして1989年11月10日のベルリンの壁崩壊により、社会主義・共産主義からの脱却を強いられる事になる。そして彼等は従軍慰安婦問題や靖国問題など、反日路線へと邁進していく事になるのである。

竹島問題は単なる領土紛争ではない

竹島については、よく「小さな島だから韓国に譲れば」という意見が聞かれる。ちっぽけな島なので経済的に利点は無いとの発想だが、竹島が韓国軍に支配されるに至った経緯を無視した、無知からくる意見である。

1952年1月、李承晩韓国大統領は「李承晩ライン」を設定し、竹島をラインの韓国側に設定した。日本は前年の1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約に署名していたが、その発効は1952年4月28日の事であり、正に日本が主権を回復する直前の出来事であった。

その後、韓国は李承晩ライン侵犯を理由に日本漁船を多数拿捕し続けた。1952年以降、日韓漁業協定の締結により李承晩ラインが廃止される1965年まで、233隻、2,791人が拿捕され、韓国に抑留された。このうち8人が拿捕・抑留の過程で死亡している(3,929人抑留、44人死亡という数字もあるが、時期の取り方による違い)。長い者で3年間、韓国の外国人収容所に抑留された。

日本の主権回復後から、日韓基本条約の交渉が長く続く事になるが、日本側は拿捕・抑留された漁民の解放も平行して交渉しなければならなかった。

韓国側は、漁民解放の条件として当時大村収容所にいた韓国人の釈放を要求した。これら韓国人(朝鮮人)は密入国と悪質犯罪の罪により収容されていたもので、これを釜山収容所に不当に抑留されている日本人漁民992人の解放と引き換えにする事は出来ない。しかも日本人漁民は日本への送還であるが、韓国人は日本国内での釈放なのである。

結局日本側は漁民解放の世論もあり、日本側が折れ、韓国人474人の国内釈放に応じた。1958年の事である。

そもそも、どうして日本人漁民が拿捕されたのだろう。それは竹島周辺はずっと日本の領土であり、周辺で漁をする事は、昔からずっとやってきた自然な経済活動だったからだ。ところが韓国の竹島侵略により、日本人漁民は韓国に抑留され、家族は稼ぎ手を失い、解放後も結局経済活動の場まで失ってしまったのだ。

戦後も黒人差別国家だった米国

最近、初期の頃のゴルゴ13を読んでいる。この漫画は歴史が長く、舞台背景は冷戦時代の東西対立まで遡るが、当時の知識が無い若者には不思議な描写もあるかもしれない。

その中で、私自身違和感を感じる描写がある。それはアメリカにおける黒人差別である。漫画ではアメリカの白人が黒人を差別している場面が多く登場するが、現在のアメリカの状況から見ると、多少戸惑いを感じる。アメリカ大統領は黒人であるし、ハリウッド映画でも黒人は活躍している。黒人差別は多少残るものの、アメリカ社会では露骨な人種差別はタブーとなっているのが現状だ。

しかしゴルゴ13に描かれているアメリカの黒人差別は、実はそれ程の誇張ではない。アメリカで黒人が法的に平等な権利を獲得したのは、1964年の事である。ゴルゴ13に連載が開始されたのは1968年であったから、初期の作品には、まだ残されていた黒人差別の場面が登場していても不思議ではない。

さて、1964年というのは、言うまでもなく戦後である。米国が極東軍事裁判において東條英機を死刑にして16年後の事である。アメリカは日本に民主主義をもたらした、というのが戦後教育における評価であるが、アメリカが日本の戦争犯罪を裁いている同時代のアメリカは、黒人が差別されていた時代だった事を忘れてはならない。

日本の戦争と米国内の人種差別とを同時に語るのは、互いに無関係な事象を並列する事であたかも相互が関連しているように錯覚させる印象操作と思うかもしれない。しかし、実は第二次世界大戦と人種差別とは大きな関係があるのである。

日本は人種差別反対をスローガンに戦ったわけではないが、明治維新以降、国民は白人による世界支配に対する挑戦という意識を共有していた。そして、結果論ではあるが、日本の戦いが欧米の植民地における白人支配を揺がせ、やがて植民地独立の時代を迎える上で少なからぬ影響を与えたのである。

日本人が意識していたのはアジア人と白人であり、黒人の差別問題まで意識していた訳ではないだろう。だが、ファシズムの側とされている日本と戦った連合国の多くが人種差別国家であった事は事実なのである。