挑発、和平、挑発の繰り返し、そして戦争

近年、中国の軍事的挑発が活発になっている。このため自衛隊の役割が重要になっており、国民の自衛隊に対する期待も高まっている。これを快く思っていないのは9条信者である。彼らは軍事的緊張が憲法9条の理念を崩してしまう事を恐れ、日本国政府に対して平和的対応、すなわち中国への妥協を要求している。その際に彼らがしばしば主張するのが「日本の侵略戦争の歴史」を踏まえた対応、である。

侵略戦争の歴史と言うが、戦後教育の中では、支那事変等の戦争の詳細な経緯は省略され、日本がいかに悪い事をしたかという悪事リストだけが教えられてきた。このため本来ならこの時代の歴史から学べる貴重な教訓というものが伝承されず、罪悪感だけを植えつける結果となっている。これは非常に残念な事である。というのは、現在起きている日中間の軍事的緊張については、支那事変等の中国との関係史が大いに教訓となるからである。

支那事変は1937年7月の盧溝橋事件を発端に起きた日中間の戦争であるが、支那事変に至る過程では中国側の度重なる挑発が繰り返されていた。

すでに盧溝橋事件の前から中国側は様々な反日テロ活動を続けており、日本側を挑発していた。日本はその度に中国側に抗議するとともに、中国側と協議して日中友好を確認してきた。ここで重要な点は、中国の目的は日本と戦争する事であったが、日本は中国と戦争する意思はなかったという事である。

  • 1937年7月7日に盧溝橋事件が発生、その後7月11日には現地で停戦協定が締結されている。一方で、中国側の挑発は続く。
    7月13日には日本軍のトラックが中国兵に爆破され4名の日本兵が死亡(大紅門事件)
  • 7月25日には北京近郊で中国軍が日本軍に攻撃し両軍が交戦(廊坊事件)
  • 7月26日には日本軍が中国軍に襲撃され多数の日本兵が死傷(広安門事件)

これら中国の挑発行為が続いた事から、日本の不拡大方針もぐらつく。そして7月29日には日本人と朝鮮人の民間人多数が猟奇的に惨殺される通州事件が発生。事件は大々的に報道され、対中国感情が悪化した。

その後舞台は上海に移る。8月9日に上海で二名の日本兵が中国側に惨殺される事件(大山事件)が発生。日中間の関係は急速に悪化し、8月13日、中国側の発砲を機に両軍が交戦を開始して第二次上海事変が勃発。8月17日には日本国政府が不拡大方針放棄を閣議決定し、本格的な戦争に突入していった。

以上の経緯はややこしいので、学校で詳細を教える事はないだろう。だが、その過程を理解する事は重要であり、丸暗記は不要でも、このような話は一度学んでおき、自分の頭で考えさせるような教育は必要だ。それが現在の日中関係に大いに関係するからだ。

私なりに理解した上記歴史の教訓は以下のようなのだ。中国からの執拗な挑発が続くようなら、それは中国に戦争の意思があるという事だ。そのような状況では国民世論を冷静に維持する事が最も重要であるとともに、中国側の一時的和平姿勢には決して騙されない知恵が必要であるという事だ。

中国は盧溝橋事件の7月7日の度に日本側に正しい歴史を直視せよと主張する。多くの日本人は歴史も直視せずに、その主張だけで謝罪する気持になる。しかし日本人が勇気を持って歴史を直視すれば、上記のような事実から本当の教訓を得るはずなのである。

民主主義に自信を持てない左翼

7月2日、安倍政権は集団的自衛権について閣議決定した。閣議決定の内容は長文で背景説明など無駄が多く、要点が分かりにくいが、集団的自衛権を行使できるようにした点が注目されている。従来、日本には集団的自衛権はあるが、それを行使する権利はない、という理解困難な立場を取ってきたが、今回の決定により、集団的自衛権にはそれを行使する権利が当然含まれる、というすっきりとした解釈が可能になるだろう。

今回の閣議決定に対しては、左派メディアが偏向的で扇情的な報道を繰り返し、左翼も極端なホラを駆使して安倍政権を軍国主義者扱いしてきた事もあり、国民の間でも反対意見が多いようである。

左翼の主張には、「徴兵制が導入される」とか「アメリカの戦争に日本の若者を動員する」、「時の政権の判断だけで戦争できる」など、あたかも日本が戦争に向ってまっしぐらという印象を与えるものが多い。その雰囲気に飲み込まれて反対している人も多いだろう。

そもそも集団的自衛権と徴兵制には何の関係もない。そんな事のために徴兵制を導入するには憲法を改正しなければならないが、わざわざそうまでして徴兵制を導入する合理性はない。徴兵制は自衛隊の戦力にとって有利ではないからだ。そもそも、一体、誰が何の目的で徴兵制を導入しようというのか?時折、若者の根性を鍛えるためにも徴兵制を、という意見は聞かれるが、正気の沙汰ではなく、本気ではないだろう。

もし徴兵制を導入しようとする動きがあれば、その時に反対すれば良い。私も当然反対する。日本は民主主義の国であり、徴兵制のような間違った制度が導入できるはずがない。それとも、左翼は徴兵制についての議論に勝てないと思っているのだろうか。

「集団的自衛権の行使は時の政権が勝手に決める」と左翼は言うが、その「時の政権」とは誰が選択するのか。我々国民ではないのか。左翼は国民を信用していないのか、日本が民主主義の国ではないと思っているのだろうか。もちろん国民も間違った選択をする事はある。民主党政権の登場がそれだが、国民世論で政権を倒す事が出来た。

今回の閣議決定は、確かに読みにくい文章ではあるが、左翼が主張するようなものを決定した内容ではない。徴兵制やら戦争参加は別次元の話であり、日本が民主主義の国である限り国民が決定できる話である。

もし時の政権が国民の意思とはかけ離れた政策を実施してしまうものなら、日本の民主主義に欠陥があるという事であり、憲法改正が不可欠であろう。

侵略戦争と植民地支配は何故いつも同時に使われるのか

左翼は「日本のアジアに対する侵略戦争・植民地支配」という表現を好んで使う。学校教育の中でもこの表現が利用されているため、ほとんどの日本人は第二次世界大戦における日本の行為を簡単に表現したものと漠然と感じている事だろう。これは1995年の村山談話の中でも「植民地支配と侵略」という言い方で利用されている。

今やごく自然に利用されているこの表現であるが、考えてみると奇妙である。「植民地支配」と「侵略」をどうして並列して使う必要があるのだろう。両者が同じ意味なら、単語一つで十分であるはずだ。

結論から言うと、両者を同時に利用する最大の理由は、朝鮮(北朝鮮、韓国)を被害者側として扱うためである。日本は朝鮮とは戦争しておらず、「侵略」には該当しない。このため日韓併合を持ち出してして「植民地支配」を非難する必要があるのだが、単なる植民地だと日本批判のインパクトが不足している。このため、東南アジアに対する侵略と朝鮮半島の植民地支配を合体させ、朝鮮の被害を強調しようとしているのである。

侵略については、用語の定義に依るが、日本が英米蘭と戦争するためにマレーシアやフィリピン、インドネシアに軍隊を進め、人的・物的に多大な被害をもたらした事は事実である。その酷さを誇張するために「侵略」という用語を扇情的に利用している面はあるが、「日本の軍事行動により、欧米諸国に植民地支配されていた東南アジア諸国の民衆に多大な苦痛をもたらした」という意味で「日本の侵略」という表現は可能であろう。一方で朝鮮は1910年の日韓併合により大日本帝国の一部となったため、第二次世界大戦中でも日本と朝鮮の間に戦争はなかった。
では植民地支配はどうかというと、これも用語の定義に依るのだが、満州、朝鮮、台湾が該当する。他の東南アジア諸国は戦争中の数年間、軍事的に占領していたに過ぎない。

「植民地支配」と「侵略」を並べるのは、アジア諸国が全て同じような被害を受けた事にして、何としても朝鮮を被害者として扱いたい左翼のプロパガンダなのである。

原発擁護派だった日本共産党

福島原発の事故以来、反原発派は世論の味方を得て大きな勢力となっているようである。この中には日本共産党も含まれ、選挙では「反原発」を大きく前面に打ち出している。あれだけの大惨事であったのだから、世論が反原発に傾く事は理解できる。そして世論に便乗して反原発をアピールする日本共産党の姿勢も当然と言えば当然だろう。

しかし私にとっては、当初日本共産党の反原発には大きな違和感を感じていた。というのは、もともと個人的には原発賛成派で、そしてそれは共産党の影響を受けていたからだ。

私は共産党の一家で育ったが、ある時期から赤旗を読まなくなり、共産党にも興味を失くしてしまった。だから近年の原発に関する共産党の方針がどの様に変遷したかについては良く知らない。ただ言えるのは、かつて共産党は原発支持派であり、共産党支持者だった私はそれが理由で原発には賛成していたのだった。

かつて日本は石油を求めて南方に軍を進めた。憲法を遵守して自衛隊を解体し、日本が再び軍拡の道を歩まぬようエネルギー自給を達成する。更には石油依存から脱っし、米国の石油メジャーの支配から解放されるために、日本は原発を推進すべきである、というのは、憲法9条を神聖のものと考える共産党支持者にとっては実に自然な論理であった。

もちろん、当時の自分は子供だったから、共産党がどういう論理で原発賛成だったのか正確には知らない。ただ、自分なりに共産党が原発に賛成する意味について、上記のように解釈していたのは確かである。
ずっと共産党支持者だった人、最近共産党を支持するようになった人、あるいは共産党には興味が無かった人には、今日の共産党の反原発姿勢も不思議には思わないだろう。ただ、私のように共産党について一定のブランクがある人には、奇妙にしか見えないのである。

犯人を誰一人特定出来ない従軍慰安婦問題

第二次世界大戦中にドイツが行なったホロコーストでは、戦後になっても関与した人物が裁判で裁かれるという事が長く続いた。命令したナチス幹部だけではなく、強制収容所の看守等の小物でも裁判の対象となっている。現在でも時折、犯罪者が特定されたり、何らかの判決が下るというニュースを見る事がある。

一方で、韓国が主張するような韓国人女性の強制連行はどうだろうか。彼らが主張するには、村々の女性が拉致され、トラックに積み込まれて慰安所に連行されたとの事だ。であれば、何故強制連行に関与した人物を特定し、裁判にかけるという事が全く無いのか。何しろ20万人という数の強制連行である。トラックの運転手なり、協力した朝鮮人なり、関与した人物はいくらでもいるはずで、特定も可能なはずだ。

ところが、韓国は日本を非難し、慰安婦像なるものを世界中に設置する事はするが、肝心の関係者の特定と裁判は全く行なっていない。犯罪者の裁きは一切せず、国家そのものを貶める事に狂奔している。

理由は簡単であり、日本が韓国人女性を強制連行した事実はなく、自称元慰安婦の証言が出鱈目であるからだ。日本で唯一、自分がやったと名乗り出た吉田清治は、後に自分の話が虚偽であった事を認めている有様だ。

犯人が誰も特定されていない捏造された犯罪に、日本が謝罪する必要など何も無いのである。