武漢コロナウイルス感染者の国籍非公開を続ける歪んだ人権意識

厚生労働省は都道府県から集めた感染者情報を公表しているが、現在国籍分類が不明な状況である。外国人差別を助長するという極度に歪んだ人権意識が理由だ。また、感染者を国籍別に分類すること自体に意味がないのだという、恐ろしい程に間違った論理で国籍隠蔽を正当化している。

アメリカで黒人の武漢ウイルス感染率が白人より高いという事実は、感染者の属性として人種が情報にあったからこそ判明したものだ。人種別の統計を取る事により、感染拡大の要因に所得や住環境、公共交通の依存度などの要因につき分析が可能となり、感染対策の課題を整理する事が可能となった。

アメリカでは最近、黒人警官が殺した白人の人数が○○で白人警官が殺した黒人の人数が××といった犯罪に関する人種別の詳細な指標が度々メディアに登場している。これは当然、警察統計に人種情報が記録されているからであり、これがなければ人種差別問題の取り組みも出来ないだろう。

厚生労働省のHPを普通の感覚で見れば、感染者に占める外国人の割合が極めて高いというデータとなっている。このため日本の税金で多数の外国人が治療を受けているとか、日本で治療を受けるために感染した外国人が入国している、などという話がネットで登場した。これをデマと言う事は出来ない。データを先入観なしで見れば、外国人の割合が高いという結論になるのだ。

実際には国籍不明なのは日本人が大半なのだが、そもそも日本人と外国人を区別する事に意味がないという極端な左翼思想のために無用な誤解が生じているのが現状だ。隠蔽すればするほど陰謀論は拡大し、それが差別を生みだすのである。

日本が感染拡大を一定のところで抑える事が可能であったのは、検査を感染経路に絞った方針が功を奏したからであるが、日本人特有の事情があるのではという説もある。

DNA分析によると、弥生人には長江流域から来た人達の系統であるが、長江流域の人達はベトナムにも移動している。ベトナムは感染拡大を抑え込む事に成功している国であるが、ひょっとしたらDNAの関係があるのかもしれない。

感染者の属性情報は、今後到来が予想される第二次感染拡大に備えてどのような対応をすれば良いのかを検討する上で非常に重要な情報である。性別・年齢・喫煙歴といった情報だけではなく、国籍・人種・宗教など、遺伝子レベルから生活習慣レベルに至るまでのビッグデータを整理し、個人を特定しない範囲で国民に提供する必要がある。

情報が隠蔽された中で、専門家や評論家、コメンテーターなどがあれやこれや自説を開陳しても時間と労力の無駄であるばかりか、感染抑制に有害ですらある。

 

政治的偏向以前に公衆衛生の技術力自体が無いWHO

WHOは武漢コロナウイルスの感染拡大で中国共産党寄りの姿勢が鮮明であった。これは誰が指摘するという事ではなく、WHO関連のニュースに普通に接した一般人が感じとった事である。政府レベルではトランプ大統領がWHOを強烈に非難し、安倍首相もWHOは政治性を排除すべし、と発言している。

WHOが中国共産党の支配下にあるのは深刻な問題であるが、WHOの対応を見ると、そもそも公衆衛生に関する技術力が欠けている。

発生直後の渡航禁止措置反対は、中国が国際経済の中から孤立してしまうのを妨げるための政治的措置であったが、その後のWHOの発表は各方面に混乱を招いた。

マスク着用に関する見解も、無意味と言ったり着用すべきと言ったりと定まらない。発症前には感染しないと言った翌日に発症前から感染すると言うなど発言が一定していない。

今後、確実にやってくると予想される第二次感染拡大に備え、専門家による感染拡大シミュレーションが必要となる。PCR検査の規模や必要とされる医療キャパシティ、営業規制の程度などを科学的に想定しなければ、政治的に混乱してしまう。

ところが、シミュレーションに必要なパラメータは、これだけ世界中で感染が拡大しているのに、そしてWHOにはその情報が入っているはずなのに、いまだに武漢コロナウイルスの正確な挙動が不明なのである。潜伏期間の分布も不明だし、感染後に感染力がどのように変化するかの数値的データも不明だ。

WHOには優秀な人材が揃っているはずだが、中国共産党支配下にあって、十分な国際連携も出来ず、専門的な分析も出来ないという状況なのだろう。トランプが脅しているように、一度解体して新しい組織を作った方が良いだろう。

 

日本人拉致問題の解決のため北朝鮮との対話を進める方法

日本人拉致被害者に関する日本と北朝鮮との協議が停滞したまま数年が過ぎている。北朝鮮の核兵器・ミサイル開発により、日朝の対話は中断したままであり、対話再開の見込みが全くない。

この原因として日本のアプローチが硬直している事がある。それは何かと言うと、対話が可能となる友好的環境を待ち望んでいるという状況だ。

2018年にトランプと金正恩の会談が実現したのは、2017年に北朝鮮が核実験や大陸間弾道ミサイルの発射を繰り返し、米朝間に一触即発の緊張状態が生じたからだ。

北朝鮮は極東の小国であり、国際的な関心が低く、注目を浴びるには何か問題を起こすしかない。何もしなければ世界から忘れられた存在となってしまい、国家の存在が危うくなってしまうのである。

現在、日本と北朝鮮の間には対話の糸口はない。これでは拉致問題の解決に何も進展しない事になってしまう。環境の変化を待つのではなく、日本から積極的に動く必要があろう。

日本側のアクションとしては、朝鮮流のやり方を真似る事である。すなわち、相手が無視できないような緊張状態を演出する事である。

日本にはそのための強力なカードを持っている。一つには朝鮮総連の強制解体または何らかの制裁であり、これまで繰り返し提案されてきたものだ。もう一つは日本のEEZで操業する北朝鮮漁船の拿捕と船員の拘束である。さらに、ロシアや中国が日常的に日本に対して行なっている領空侵犯まがいの軍用機飛行というのも考えられる。

憲法改正が実現すれば、北朝鮮は間違いなく日本への非難を繰り返すだろう。そうなれば両者が同じテーブルにつく日も遠くない。

 

効果をあげた「中国批判声明参加を日本政府拒否」の共同通信報道

6月7日に共同通信が伝えた「日本、中国批判声明に参加拒否 香港安全法巡り、欧米は失望も」の記事は虚報の類であった事が菅官房長官の記者会見や何人かの政治家達によって指摘され、安倍首相は逆にG7での共同声明を主導していくと国会で発言するに至った。

さて、今回の報道を戦時情報戦の一環と考えると非常に巧妙なものであった事が分かる。

第一に、日本国政府は習近平の国賓来日に固執してきたため、共同通信の報道を簡単に信じてしまう状態にあった。現在、日本が維持している中国共産党寄りの姿勢は、安倍政権以外であったら世論から国賊扱いされ政権がもたないであろう。保守強硬のイメージのある安倍政権だからこそ対中宥和も売国とは見なされていない。今回の報道ではその微妙なバランスを観察する事ができた。

第二に、香港安全法に関する国内世論の動向を確認する事が出来た。結論としてはネットや政治家、評論家の間では非難の声があがったものの、日本国民が香港問題自体にはそれほど関心がないという事がわかった。

第三に、中国による香港支配の既成事実化を進める事ができた。

共同通信の報道は、非常にわずかな影響ではあるが、香港の民主化活動家の闘争心を挫き、国際世論に香港安全法が規制事実化しつつある現実を見せ、各国の指導者に香港での新秩序を前提とした落とし所を探らせる効果があったのだ。

戦時では相手国側の戦意を喪失させる事が重要だ。香港市民にとっての脅威は国際世論が関心を失い、中国共産党の決定に干渉しなくなる事だ。それは、既にチベットやウイグルで起きている事である。

共同通信はじめ日本の報道機関には中国共産党の工作が入り込んでいるのは間違いない。

任那日本府の話

任那日本府は、かつて朝鮮半島南部に位置した倭人集団の何らかの組織であり、日本書紀に記述されているものであるが、一時期日本の教科書から消えていた。平成27年に、任那日本府の事が記載されていた中学教科書が検定に合格した。その直後に韓国の首相(朴槿恵時代)が歴史歪曲だとして日本を激しく非難している。

任那日本府については議論が尽されている感があり、ネットにも情報多数あるが、ここで実在の根拠について簡単に整理しておく。

1) 三国志魏書東夷伝における倭の位置

魏志倭人伝で有名な魏の歴史書は、倭国以外の周辺国についても多く記載している。その中で「韓(馬韓、辰韓、弁韓)」の位置について、「帯方郡の南、東西は海、南は倭と接する」とある。南で倭と接するとあるのだから、朝鮮半島南部に倭の勢力があった事になる。「後漢書」にも同様の記載がある。

2) 宋書などに見る朝鮮半島における倭国の形式的・実質的支配

日本書紀では新羅が日本に朝貢していた事になっている。宋書によれば、5世紀を通して倭王がしつこく朝鮮半島での地位を求め、最終的には宋に「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」と名乗る事を認められたとある。この事から当時の日本は少なくとも形式的には朝鮮半島南部を支配していたと言える。また広開土王碑の碑文から、高句麗と倭が朝鮮半島の覇権をめぐって争っていた時期があった事が分かる。

3) 三国史記新羅本記における倭国との戦争

日本側の史料では新羅との戦争についての記載が三韓征伐などに限られるが、朝鮮側の史料である三国史記には倭国との戦争について数多く記載されている。3世紀には7回、約15年に一回だ。日本人の先祖が南から海を渡って日本列島に到着したとは言え、当時の技術で頻繁に海を越えて新羅に攻め入るというのは難しい。朝鮮半島南部に倭の拠点があったと理解するのが妥当だ。日本側の史料に新羅との戦争の記録が少ないのは、任那の倭人が主体となった朝鮮半島での出来事だったからだろう。

以上のことから、任那に何らかの形で倭の行政機関があった事は確かであると言える。おそらく新羅や百済、その他の朝鮮半島南部の国にも出先機関はあったであろう。