ウランより分裂しやすい反原発「希望の党」

平成29年の衆議院選挙が公示され、該当演説が始まった。マスコミが注目しているのはやはり希望の党であり、小池都知事は不出馬となり、当初期待されていた程の勢いは無い模様だが、それでも旋風を起こすであろう。

希望の党は民進党出身者の寄せ集めであり、選挙後には小池氏への裏切りが続出すると予想されている。ただ、いくつかの政策では民進党の立場を踏襲していて、その一つが脱原発だ。おそらく選挙後半では小泉元首相も応援してくるのではないだろうか。

希望の党候補者も原発ゼロを掲げている。確かに原発はウラン235の核分裂により有害な放射性物質を量産するから、故障時に災害リスクが高い発電システムではある。

元民進党・民主党議員は、ウラン235よりも分裂しやすい人達であるから、その危険性は身に染みて理解しているのだ。事実、選挙前に分裂してしまった。

ところで、今回希望の党からの立候補者は公示日時点で235人である。奇しくも原発で使っているウランの質量数と同じだ。ウラン235の分裂には中性子が必要だが、希望の党は自発的に分裂し、放射線を撒き散らした挙げく、有害廃棄物として処理される事になるだろう。あまり悪口は言いたくないが、今回の騒動では正直かなり頭にきている。

さて、希望235の党は12のゼロを掲げ、その筆頭は原発ゼロだ。それは確かに国家的な話かもしれないが、その他の公約は国政で語る事だろうか。今必要なのは、以下のゼロではないだろうか。

○我が国への軍事攻撃ゼロ
○北朝鮮の核実験ゼロ
○北朝鮮のミサイル発射ゼロ
○中国船の領海侵犯ゼロ
○テロゼロ
○テロ支援団体ゼロ
○原発事故ゼロ
○スパイゼロ
○二重国籍議員ゼロ
○慰安婦像ゼロ
○神社仏閣での器物破損ゼロ
○フェイクメディアゼロ
○麻薬密輸・取引ゼロ
○武器密輸・取引ゼロ

12を超過してしまったが、受動喫煙ゼロには届きそうもないのでここで止めておく。

民進党解党騒動の主犯は日本国民である

前回記事から民進党議員の無節操ぶりの原因を考えてきた。同じ日本人としてあまりにも恥しい行動であり、国家の名誉のためにも論理的な理由が欲しかったからだ。

前原の奇策と大政奉還

あえて合理的な説明をしようとすれば、安倍政権打倒という目的のために小異を捨て大同についた決断であった、という背景だ。しかし、そうであれば民進党左派は全員転向して小池氏の保守思想に賛同していたはずだが、そうはならなかった。野党が掲げる倒閣の旗というのは、小池氏への屈従にも堪える事が出来るほど崇高なものではなかったという事だ。

それはそうだ。左翼の敵は安倍晋三なのではない。安倍首相に希望を託しえている国民こそ左翼の敵なのであり、これから何人の安倍晋三を倒しても左翼は国民を相手に闘い続けなければならない。左翼の安倍打倒というのは、右翼が憲法改正実現のために堪えている事に比べると、屈辱に生きてでも実現したいものではないのだ。

野党がダメにした「アベヤメロ」路線

では、今回の騒動の根本原因は何なのだろうか。

結論から言うと、有権者がバカだからだ。小池百合子がこれほどまでの圧倒的な人気を有していなければ、民進党議員が節を曲げてまで希望の党に合流しようなどという動きにはならなかった。

政治家が今回のようなみっともない行動を取るのは、国民が政策ではなく、雰囲気や人気で政治家を選んでいるからだ。国民が小池百合子を支持しているのは彼女の保守的思考でもなければ、政治手腕ではなく、グリーンでクリーンな好印象の有名人だからだ。小池氏が民進党を辞めた山尾氏と同じ思想であっても、同じように人気はあっただろう。

政治家が世論の動向を気にするのは当然である。落選したら議員ではない。実は、日本で最も世論に迎合して自説を曲げているのが安倍首相である。タカ派扱いされるのが怖くて解散の理由に北朝鮮有事への対応を語る事が出来なかった。

民進党議員が雪崩を打って小池新党を目指したのは、国民の支持を得たいからであり、そしてその国民の支持というのは、政治理念よりも空気で決まっているのだ。

政治家というのは、国民の中での特殊な人々ではない。彼等は普通の日本人と同じように卑怯であり、勇敢であり、バカであり、賢明である人々だ。要するに同じ日本人なのである。だから、政治は一般の日本人のレベルを超える事はなく、質を上げたければ普通の国民が民度を上げるしかない。

普通の朝鮮人である北朝鮮の指導者達

 

前原の奇策と大政奉還

今年は大政奉還から150周年の年である。徳川慶喜は政権返上にあえて応じる事で徳川家の延命を図ったが実現せず、明治維新を迎える事となった。

民進党代表の前原誠司が打ち出した、民進党所属議員を小池百合子の新党から立候補させるという方針は、全く驚愕の奇策であったが、何故か150周年となる大政奉還を実現した徳川慶喜を思い浮かべてしまった。両者にあまり関連性はないのだが、策士策に溺れるということで連想してしまったのだろう。

それにしても、今回の騒動に対しては悲しさを感じてしまう。前原誠司というトップのクーデターに対し、民進党の議員が猛反発するかと思いきや「希望の党」への合流に賛成したというのだ。プライド、矜持、意地、信念といったものはどこに行ったのか。

これまで民進党議員に対しては反発する感情ばかりが強かったが、今回は呆れ果てたを通り越して悲しみの感情だ。これが同じ日本人の行動だろうかという失望だ。

前原代表の方針に特に異論がなかったという事は、おそらく民進党内部で解党論がかなり浸透していたという事だろう。それはそれで結構なのだが、選挙で勝てそうな小池新党に皆で仲良く移るのでは全く解党出直しにはならない。

そもそも小池都知事にも弱みはあるはずで、だからこそ民進党からリクルートする必要があるのだが、ハッタリと交渉に関していは前原代表もその他の政治家もまるで歯が立たず右往左往するだけだ。

民進党は気の毒なくらいに混乱している。内部のことは分からないが、都議会選挙で見せ付けられた小池氏の圧倒的強さに加え、山尾議員の不倫報道が決定的にとどめを刺したと思われる。

衆議院の電撃解散については、反安倍の急先鋒である日刊ゲンダイが繰り返し予言してきた事であり、民進党が望むところであったはずであるから解散自体は戦意喪失の理由にはならない。

どうせ奇策でいくなら、直前に「希望の党」合流を撤回してはどうか。小池新党は人数を揃えられず、民進党の脅威とはならなくなるかもしれない。参加させてもらえる、もらえないといった屈辱を経て議員になるよりは、それくらいの意地は見せて欲しいものだ。

 

普通の朝鮮人である北朝鮮の指導者達

北朝鮮の国民が窮乏生活に苦しんでいる中、日本にいる朝鮮人達は反政府運動を組織しないばかりか、むしろ現在の金政権を支持している。貧しい祖国だが自由で民主的な社会で人々は幸福だ、というのであれば理解もできるが、北朝鮮は独裁国家であり、国民は弾圧されているのだ。彼等は同胞の解放、といった事は考えないのだろうか。

在日朝鮮人は、北朝鮮の国民とはまるで比較にならない程の豊かな生活を享受している。日本に滞在し、仕事も出来るという権利のおかげだ。その彼等が金正恩を支持するのは、恐らく民族の名誉、誇りといったものだろう。

かつて朝鮮人の歴史において、アメリカほどの超大国を相手に強気な態度を示すような事はなかった。韓国はサムスンのような世界的大企業が登場し、民族の自尊心を満足させているが、軍事力による威圧の方が民族のプライドをくすぐる。そして、その栄光に浸るうえで、本国の同胞が塗炭の苦しみに喘いでいても、それは仕方がないと思っているのである。

生存を保障された屈辱的な豊かさよりは、名誉の中で生きる困窮の方が良いという思想を国家レベルで考えるのが右翼だとすれば、在日朝鮮人達は筋金入りの極右である。自分の国が強く見えれば、国民が弾圧されようが飢えようがかまわない。もちろん、日本で生活している自分達の事は除外しての話だ。

よく「政府と普通の国民は違うよね」という言い方をする人達がいる。人間同士のつきあいは、その人が属する国家ではなく、各人の個性が重要だという話であるが、同時に中国人や朝鮮人を擁護する方便として使われている。つまり、政府は日本の悪口を言うが、普通の国民は仲良くできるよ、という主張である。

これは、実は間違った考えである。政府というのは、それを生み出した国民の個性を強く反映している。それが個々のものであれ、集団のものであれ、同様である。しょせん、国家というものは普通の国民一人一人が集合して出来上がったのだ。

たとえ独裁国家であったとしても、それを許す環境というものは、その国家が基盤とする民族の特徴が作り出したものだ。もちろん、異民族支配の場合は話は別だが、漢民族や朝鮮民族を支配している現在の政権は、まさに個々人の漢人、朝鮮人の姿を反映しているのであり、つまり現政権こそが、普通の国民そのものなのである。

日本を例に考えれば理解しやすいだろう。野党の混乱ぶりは、政治家がバカなのではなく、いや、バカなのだが結局は日本人の姿そのものなのだ。政治家が根回しを重視するのは和の文化であり、なかなか強いリーダーが登場しないのも、日本人そのものである。国会で起きている事は、日本人の長所も短所も含めた日本社会すべての投影なのである。

北朝鮮は疑いもなく異様な国家である。しかし、それは金一族の存在だけが特殊なのではない。金一族は支配王朝ではなく、朝鮮人の王朝だ。そしてそれは朝鮮人社会特有の文化や思考が結実した成果なのである。

野党をダメにした「アベヤメロ」路線

衆議院選挙を前にして民進党が瓦解の危機にある。直接の要因は山尾議員の不倫疑惑報道であったが、背景にあるのは反日マスコミの反安倍倒閣路線に便乗した無節操な政権批判である。

民主党が下野した後の分岐点は安保法制の時だった。当時マスコミは共産党はじめとする左翼勢力を盛り上げ、フェイクも交え、まるで中国共産党の宣伝機関のような報道を続け、政権を攻撃していた。「徴兵制」なるキーワードの破壊力に気がついた民主党は、この時期に反日姿勢を明確にしたのだった。

その後はマスコミが演出する反安倍世論に期待する形で党内の保守派も理念を捨てて倒閣運動に参加したが、政権打倒には至らなかった。マスコミのプロパガンダがあまりにも無理なこじつけであり、理路整然とした政権の主張を崩すことが出来なかったためだ。

共謀罪への反対でも居酒屋でくだをまいているだけで逮捕されるといった左翼の無茶なプロパガンダに便乗したため、失笑を買うだけであった。また年初から国政を騒がせた森友学園問題と加計学園騒動でもマスコミの印象操作に頼るしかなく、政権側には何ら落ち度がないという主張を崩せないままである。

民主党、あるいは民進党はどうすべきだったのか。

安保法制や共謀罪、そして憲法改正など国防に関する事は争点すべきではなかった。これらは大騒ぎせず国家の重要事項であるとして法案成立に協力し、反日マスコミの演出には乗らず、経済政策を争点に責めるべきであった。

その意味でカジノ法案反対だけは正しいアプローチであった。

私は次回選挙では自民党候補に投票する予定であるが、現政権の個々の政策には反対の点が多い。安倍政権を支えているのは保守層であるが、経済政策となると保守派の分裂は深刻である。財政再建がそうであるし、規制緩和についても意見の相違が目立つ。

安倍政権は東京一極集中を進める規制緩和路線を進めている。加計学園騒動で話題となった国家戦略特区は、その半数が首都圏で指定されており、東京の不動産開発を進めるための一極集中政策であり、地方軽視の姿勢が表われている。

ところが民進党は加計学園を問題化する事で愛媛県を敵にまわし、まるで安倍政権が地方活性化の方を東京への投資よりも重視しているかのような印象を与えてしまった。

自民党政治は憲法9条第二項が廃止された時点で終焉する。健全な野党は、共産党はじめとした9条信者や中共の手先を切り捨て、小沢一郎が言っていた「普通の国」を一日も早く実現させるよう努力すべきだ。そうすれば戦後日本を支配してきた自民党政治も終了し、政治のレベルの向上するだろう。