戦後日本の重要課題だった朝鮮人問題

今年(2014)は戦後69年になり、あたりまえだが戦後独立を果した国々よりも長い歴史がある。約70年というのは、すでに歴史の教科書に記載すべき過去を含むのだが、どうも1945年を境として、現代扱いする発想はまだ残っているようで、戦後の歴史は歴史というより時事問題として認識している人が多いのではないだろか。

戦後の歴史というのは、歴史の授業よりは経済や政治の授業で扱う方が理解しやすいのかもしれない。しかし、それでは戦後の実相を部分的にした伝える事が出来ない。やはり歴史は歴史として伝えていくべきである。

戦後日本の歴史は、もちろん主権回復が最大のイベントであり、その他には教科書が教えるように朝鮮戦争特需や戦後復興が大きなテーマであろう。しかし、当時まさに生きていた日本人にとっての大きな課題は朝鮮人問題であった事を忘れてはならない。

日本が主権を回復した1952年、朝日新聞と東京新聞が朝鮮人問題を扱った社説を掲載した。この年は血のメーデーに始まり、全国で朝鮮人による暴動の嵐が吹き荒れた年でもあった。その年の事件が社説に反映されたのは事実だが、朝鮮人問題はもっと前、戦後すぐに大きな課題となっており、昭和24年には朝日新聞が『在留朝鮮人の生活問題』と題する社説を掲載している。

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朝日新聞と東京新聞の社説に共通するのは、戦後の朝鮮人の立場を婉曲的に指摘している点だ。すわなち、

朝日新聞の昭和24年社説~『ただ終戦後しばらくの間、解放を喜ぶのあまり、朝鮮人達にいささか行過ぎの行為があったところから、それが感情の上になるシコリを作ったことは確かである。』

東京新聞の昭和27年社説~『敗戦後は「日本人ではない」と言い張って連合国の列に入らんとし』

さすがに大新聞だけあって扇動的な表現ではないが、戦後、朝鮮人による横暴な振舞いがあった事は、これらの社説からも見えてくる。李承晩もいけなかった。彼は連合国軍に対し、在日朝鮮人を戦勝国民扱いする事を要求していたのだ。

一方でこれらの社説では朝鮮人の存在を受け入れるという姿勢が見える。戦後、日本が朝鮮半島を失った事により、朝鮮に戻らなかった約50万人の朝鮮人の扱いは非常に大きな課題であり、メディアは朝鮮人による暴力に非常に心を痛めていた事が伺える。まして一般国民にとっては迷惑極まりない存在であったろう。

朝鮮人は日本共産党と結託して革命騒動を繰り返す事になるのだが、さらに日本を悩ませた問題は密入国朝鮮人である。その後は在日朝鮮人・韓国人の生活保護問題へと続き、戦後20年程度は、朝鮮人問題が日本にとっての大きな課題となっていたのだ。

アジア諸国はどこが植民地支配していたのか、戦後どこから独立したのか

戦後の歴史教育は昭和時代の戦争については、「日本がアジアを侵略し植民地支配した」という要約のみ伝え、いつ、どこで、何が起きていたかという事実関係についてはあまり教えていない。たまに具体の話をする時は、日本兵が民間人を殺していたとか、強姦していたとか、真偽不明のエピソードに終始しているのが現状だ。このため海外に出た際に恥をかくような勘違いをしたままの日本人が多いようだ。

実際にアジアにおける植民地支配とはどういうものであったのだろうか。個別に見てみよう。

ベトナム

日本がベトナムに進出したのは、当時ベトナムを植民地支配していたフランスの合意にもとづくものであった。ただし、その時の仏国政府はナチスに支配された後のヴィシー政権である。第二次世界大戦後はフランスを相手に独立戦争を闘い、1954年に独立を達成。

ラオスとカンボジア

1953年にフランスから独立。

タイ

第二次世界大戦中、日本軍が進駐していたが、植民地だったわけではなく、ずっと独立国である。

ミャンマー(ビルマ)

19世紀を通してイギリスの植民地となる。日本軍の進駐によりイギリスの植民地支配は一時期崩れる。1948年にイギリスから独立。

マレーシア

19世紀にイギリスの植民地化が進む。第二次世界大戦で日本が占領。戦後はイギリス連邦の一員として独立。

シンガポール

イギリスの重要な植民地であった。日本は1942年から1945年まで占領。その後イギリスが植民地支配を継続。1957年にイギリスからンマラヤ連邦として独立。1965年、マレーシア連邦から独立。

インドネシア

17世紀のころからオランダが植民地として支配。1942年から1945年まで日本が占領。日本軍政下の統治は植民地と言って良いかもしれないが、日本はインドネシアの独立を画策するも実現せず。第二次世界大戦後、オランダに対する独立戦争を開始、1949年に独立を達成。

パプア・ニューギニア

オーストラリアの委任統治領であった。第二次世界大戦で日本が一部占領。1975年にオーストラリアから独立。

敗者を奴隷扱い出来る中華文明の権利が満たされぬ支那・朝鮮人の欲求不満

9月3日の産経記事(共同)によると、中国の環球時報が「日本は中国を真の勝者と認めたことがない」という不満の社説を掲載したそうだ。日本が米国やソ連には従ったのに、中国や韓国には従わないという事に対していら立ちを表現している社説だという。

中国語は分らないので、英文の記事を読むしかないのだが、なるほど、日本が歴史問題で中国や韓国に従わないのはけしからぬ、というような内容である。

社説の表面的な記述だけでは、いつもの反日宣伝のようにしか読めないのだが、支那大陸の歴史をある程度知っている人には、その背後にある潜在意識を感じる事が出来るのではないだろうか。

支那大陸、そして朝鮮半島においては、勝者と敗者の関係が日本におけるそれとは意味が異なる。彼らにとって勝利する、という事は敗者を如何様にも扱って良いという事を意味する。支那大陸では幾多の王朝や政権が打倒されてきたが、その度に前の時代の為政者には残虐な仕打ちが待っていた。勝者は政権を正当化するために歴史を書き換え、敗者を奴隷のごとく扱った。

朝鮮半島でも同じであり、現在においても、大韓民国は歴代の大統領が後に続く政権から酷い仕打ちを受けるという歴史を繰り返している。竹島に不法上陸した李明博は無事のようだが。

支那大陸の人間にとって、日本が連合国に降伏したにも関わらず、長い大陸の歴史の中で認められてきた勝者による一方的な歴史の押し付けが出来ない事は大きなストレスであるようだ。彼らにとって、日本が自分達より下位の、奴隷的な立場にならずに、むしろ経済成長で大国になっている事が許せなくて仕方がない。

支那・朝鮮にとっては、戦後は永遠に終了しない。勝者が敗者を支配し続ける事、これが戦後なのである。彼らにとって戦後の終了とは、新たな戦争もしくは王朝交代による勝者・敗者の逆転を意味するのだ。

滑稽なのは朝鮮人であろう。戦前・戦中は帝国臣民であったのが、日本の敗戦とともに、敗者を奴隷扱い出来る勝者の快感を味わおうとして、戦勝国民気取りで日本人に対して横暴な態度を取るようになったのだ。そして勝者の権利としての歴史の捏造を始め、日本に押し付けようと執拗な努力を続ける事になったのだ。

支那・朝鮮人にとっては、勝者が敗者を奴隷扱いできぬという、有史以来の異常事態にとまどい、欲求不満が鬱積しているようだ。もっとも、日本が敗北したのはアメリカであり、毛沢東の中国共産党ではない。まして戦争などしていない朝鮮民族に対しては勝利も敗北もない。

朝日新聞昭和24年5月8日社説『在留朝鮮人の生活問題』

戦後四年、まだ新聞がGHQの検閲を受けていた時代に、朝日新聞は在留朝鮮人の生活問題という題ではあるが、朝鮮人の暴動についての記事を掲載した。

全体的には、朝鮮人批判は非常に抑えてはいるが、呉、会津若松、松山、鶴岡、新潟で朝鮮人暴動が発生した事を述べており、朝鮮人側に自制を促す内容となっている。

今回もまた、引用だけにしてコメントは後日。

日鮮融和ということは、日本にとっても朝鮮にとっても極めて大切なことである。それは何人も疑わないが、事実は必ずしも満足すべき状態ではない。さきに東京深川に起った武装警官と朝鮮人群集との衝突事件はまだ記憶に新しいが、原因や規模に差こそあれ、これに類する事件はすでにこの四ヶ月の間に、呉、会津若松、松山、鶴岡、新潟などの各地にも発生しており、日鮮関係を○くする問題として○○の関心をよんでいる。

日本に在留している朝鮮人は約六十万を数えるが、このうちしっかりした営業なり職場なりをもっているのはごく少数で過半は失業と同様の状況におかれている。しかも商売をしようにも、日本人自身企業の行詰まりで失業がふえてくる昨今の世○では、資材や資金を調達ことがなかなか容易でないばかりか、彼らにはその窮状を訴える政治的手段がないわけである。いきおい密造かその他のヤミ行為でもやらなければ生きてはゆけないし、その生活苦から犯罪の袋小路に追いやられる物は決して少いわけではない。

われわれの良識はもとより彼らの悲惨な生活状態に目を覆うことを許さないが、ドブの密○とか○○のヤミといわず、いやしくも経済の秩序を乱す行為が許されてよいわけがない。まして社会の安寧を脅かす犯罪行為にいたっては、日鮮のへだてなく、法の定めるところに従って厳に○○せねばならぬ。この点については朝鮮人側においても固より異論のあろうはずはあるまい。ただ終戦後しばらくの間、解放を喜ぶのあまり、朝鮮人達にいささか行過ぎの行為があったところから、それが感情の上になるシコリを作ったことは確かである。しかしそれももう解きほぐされなければならぬ。それがいつまでも残っていて、それがために○記のような好ましからぬ事件が起きるとすれば、それは日鮮関係に憂うべき○○を○えるであろう。それだけにこの種の事件は○も冷静に、良識にしたがって処理されなければならないだけでなく、むしろ進んでこの種の事件の発生を予防する措置について○○せねばならぬであろう。

事件発生の原因についてみると、昨年四月の大阪、神戸における小学校事件特殊の問題としてしばらくおくが、その他はおおむねヤミ酒づくりの摘発や犯罪容疑者の摘発がもとになっているようである。さきにも○べたように、在留朝鮮人の生活○がヤミ酒つくりや犯罪へと追いやったとするならば、かかる不幸な事件の発生を予防するにはまず、在留朝鮮人の生活安定の○○○から検討してかからねばならぬのである。

いうまでもなく在留朝鮮人はすでに終戦前から久しく日本にあり、中には日本人の配偶者を持つものも少くなく、かなり日本の社会にとけこんでいる。それはともかくとしても、すでに在留するものに対して、民族的○別をもって彼らの基本的な生活○を脅かすことは断じて許されない。しかし続発する数々の憂うべき事件を○にしては、在留朝鮮人自身もこの○○に対して自ら反省する必要は大いにあるのであり、その自覚を促すことは絶対に必要である。自分達がいま自国ではなく他国にあるのだという自覚は、何としてもハッキリ持ってもらわなくてはならぬ。ことに、現在の日本国民は、自ら分ちあって食うにも事欠く経済状態で、ために海外から援助を仰いで辛うじて切抜けているという事実、したがって日本経済の○○に対する助力こそ欲しけれ、これがこう乱は日本国民としてはなはだ迷惑に感じているという事実については、特にその指導者たちが在留朝鮮人に対して啓発するところがなくてはならぬ。

生活苦からくるやむを得ざる○い生活ではあろうが、そのヤミ酒づくりやその他のヤミ行為に○される労力と摘発を恐れる緊張感を、ほかの仕事にふりむけることができれば、彼らの生活はもっと明いものになろう。すでに共同農場の経営や炭○や○○工事請負などで見事に生活の安定に成功した幾つかの例を数えることが出来る。いずれにしても日本経済の自立復興に協力するそのことが、同時に六十万朝鮮人の生活を安定に近づける道でもあろう。

もとよりこの道も決して平かな道ではあるまいが、○○としてむつみ合わなければ、在留朝鮮人がわが社会秩序に○○し、生産的な労働へと○○する限りにおいて、われらもまた出来るかぎりの援助を惜しんではならないし、また惜しむものではない。

朝日新聞昭和24年5月8日社説

戦前からインドネシア独立を支援していた日本人

大東亜戦争終結後、インドネシアの独立戦争に日本人が参加した事は、最近の右傾化の中で多く語られるようになっている事実である。約2000人の元日本兵が独立戦争に参加し、約1000人が命を落したと言われている。

インドネシアの独立戦争とは、大日本帝国からの独立ではない。オランダからの独立である。戦後、オランダは日本軍が去ったインドネシアに対する植民地支配を継続したが、インドネシア国民は独立戦争を闘い、1949年に独立を実現した。

日本人がインドネシア独立戦争に参加したのは、太平洋戦争に敗北して行き場を失くした軍人が暴れたという話ではない。実は戦前から日本はアジア諸国の欧米列強からの解放というイデオロギーを持っており、それを実演しようとしていた日本人もいた。

吉住留五郎は、昭和10年にインドネシアに渡航、インドネシア独立を支援する事になるが、昭和13年にオランダから強制追放されていまう。その後昭和16年に再度インドネシアに潜入するが、戦争勃発により捉えられ、収容所生活を送るようになる。その後昭和17年に釈放されるが、インドネシア独立支援を継続した。

インドネシアの独立に日本人が協力したのは歴史の事実であり、インドネシアが比較的親日である事の理由にもなっている。しかしながら、インドネシアの親日の雰囲気も翳った時がある。それは戦後賠償に関する交渉の時である。日本が戦争中悪い事をした、だから賠償金を支払う、という事を決着する時期だ。お金がからむと、友好関係にもひびが入るのである。

朝日新聞1952-08-10

朝日新聞1952年8月10日