右傾化の分析~にわか歴史学者への道

最近の右傾化は、竹島問題や従軍慰安婦問題をきっかけとした韓国への反発がお決まりのルートのようである。入口は何であれ、左翼の主張通りに歴史を学んだ結果、戦後の偏向教育を覆す発見の面白さにハマってしまい、歴史オタクになっていくような人達もいる。

学校での歴史教育は明治時代まで辿りつくまでに時間がかかり過ぎ、昭和の歴史をじっくり教えられる事がないと言われている。実際には、戦争の歴史があまりにも重いテーマであるため、先生も扱いたくないというのが一部にはあるだろう。結局、日本は非常に悪い事をした、という抽象的な話だけが伝えられ、実際には何が行なわれていたのかは教えられずに歴史の授業が終る事が多いのだろう。

そうなると、日本人の歴史理解というのは曖昧なイメージで形成される事になる。例えば、「日本によるアジアの植民地支配」というフレーズから、あたかも大東亜戦争における日本の最大版図に含まれるアジア諸国が全て日本の植民地支配を受けたとの印象を持ってしまう。

そういったレベルの人達が、実はインドネシアは日本から独立したのではなく、オランダから独立したのだ、という史実を知ると、もやもやした先入観が流されて真実に覚醒するかのような快感を覚えるようになるのだ。

そのうち、盧溝橋事件と柳条湖事件、張作霖爆殺事件の順序関係も知らなかった状態から、学校の先生顔負けの知識を積むようになる。これらの人達は、歴史論争に負けたくないため、一次資料を重視するようになり、ネットで流布する話についても原資料を自分の目で確認しなければ納得しないようになる。

さて、これらの人達は右翼だろうか?

もちろん、右翼ではない。単に一般的な日本人より歴史の事実を知っているだけの話だ。ただ、原資料を元に史実を淡々と理解する姿勢は、左翼から見れば右翼に見えてしまうのである。なぜなら、左翼の歴史は日本を徹底的に貶める視点での捏造された観点で語られる歴史だからである。

したがい、これらの人達は必ずしも保守勢力とは言えない。むしろ枝葉末節の歴史解釈で保守派とは無駄なケンカをしそうな人達でもある。いずれにしても、少しでも真実の歴史に触れる面白さを、多くの日本人に知ってもらいたいものである。

右傾化グラフ2

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朝鮮人と一緒に革命目指して騒乱を起していた日本共産党

1952年というのは、講和条約が発効した年であり、韓国が李承晩ラインを設定して竹島強奪を開始した年でもある。同時に、朝鮮人と日本共産党が一緒になって、日本中で大暴れした年でもあった。

5月1日には有名な「血のメーデー事件」が発生。日本共産党による扇動に加え、朝鮮人が参加し、赤旗と竹槍を持って皇居前広場を行進、警官隊と衝突した。デモ隊は皇居前広場を人民広場などと称しており、革命気分が漲っていた。またデモ参加者は「再軍備反対」を主張していたが、今も昔も憲法9条信者は共産主義者や朝鮮人に洗脳された連中なのである。

朝鮮戦争勃発2周年にあたる6月25日には各地で朝鮮人が日本国内での代理戦争とも言うべき暴動デモを実施、特に北朝鮮系の在日朝鮮人は日本共産党と結託して大暴れをした。お得意の硫酸ビンやら火炎ビンなどの武器を駆使し、これまたお得意の反戦平和を叫んでの騒乱デモを実施したのである。新宿駅前では2500人が集結して警官と衝突。全国で北鮮系110箇所・計2万人、南鮮系10箇所・計2千人が参加したという。

朝日新聞1952年新宿騒乱事件

朝日新聞1952年6月26日

この日の暴動で他に有名な事件としては、吹田事件・枚方事件がある。

これらの暴動が、主権を回復し明るい未来を夢見ていた当時の国を深く失望させたのは間違いない。共産党はその後の選挙で議席を全て失ってしまった。

戦後の左翼運動というのは、全く朝鮮人と日共の合同による革命闘争であって、国民生活を不安定にさせてきただけであった。今日では物騒な騒乱はなく、リベラルな主張に騙される国民も多いが、その正体に変化はない。彼らは反日勢力であり、いつの日か皇居を人民広場として開放させたいと考えている外国勢力でもある。

1952年の騒乱についてはいくつか裁判が起されたが、不思議な事にほとんど無罪である。戦後の左傾化は司法も蝕み、反日勢力が国家権力の側に浸透していったのだ。

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北方領土問題は日本がスターリニズムを認めるかどうかの問題だ

日本が抱える領土問題は、単なる国境線のギブアンドテイクの話ではない。正義とけじめ、そして先人達の苦難に思いやる心の問題である。その中で北方領土問題は、スターリン独裁によるソ連の横暴を日本が認めるか否かの問題であり、外交上のカードでもなければ、時の政治家が後世に名を残すかどうかの点数稼ぎの代物でもない。

ソ連は1945年8月8日、日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦を布告、満州への電撃的な侵略を開始した。支えきれなかった関東軍も問題ではあったが、ソ連軍は満州と朝鮮半島北部の日本人民間人に対し、虐殺、強制監禁、強姦などの罪を犯し、罪のない多数の日本人に地獄の苦しみを与えたのである。

日本は同年8月14日にポツダム宣言を受諾したが、ソ連はその後も侵略を続け、8月18日、停戦命令を受けていた千島列島の日本軍に攻撃を開始、その後9月1日までに北方四島を占領した。連合国軍が日本への攻撃を停止している中でも、ソ連は狂ったように日本の領土を侵し続けたのである。

東京裁判において、ソ連は解決済みだった1938年の張鼓峰事件と1939年のノ モンハン事件を取り上げ、「平和に対する罪」すなわちA級戦犯の訴追事項の一つとなった。

戦後、ソ連との間ではシベリア抑留というのが大きな問題であった。満州及び朝鮮半島でソ連軍の捕虜となった日本軍兵士の多く、何十万人という人々はシベリアに抑留され、強制労働に従事させられた。これについては1993年、エリツィン大統領が謝罪をしている。

ソ連の対日宣戦布告とその後の野蛮な侵略行為は、スターリンの卑劣・残虐な姿勢そのものだ。日ソ中立条約の一方的破棄は、ロシアという国が隣国として付き合える国ではないという事を意味する。北方領土はそのシンボルなのであり、後世の我々がビジネスライクなギブアンドテイクで解決するような問題ではない。

我が国政府は未だにプーチン大統領の訪日について言明していない。彼が訪日したところで日ソ中立条約破棄と、満州における非人道的な行為について謝罪するとは思えないし、謝罪したところで北方領土が返還されない限り無意味である。

前世紀の悪はファシズムである。その代表はナチスとスターリンのソ連だ。北方領土返還はファシズムとの闘いでもあるのだ。

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住民登録は結局のところ徴兵制には利用されなかった

住民登録法は、現在の住民基本台帳法(1967年)の前身となる法律で、1952年に施行された。連合軍による占領下の時代から準備されていた法律であるが、日本共産党は、この法律は住民の登録が徴兵制に利用されるもので、戦争動員のための準備法であると主張していた。例えば、以下のような反対意見である。

本法案は明らかに徴兵、徴用の法律である。こういうことを言わなければならない。もつと悪い言葉で言つて恐縮ですが、これは戦争動員の準備法であり、肉弾製造法であると言えると思うのであります。

今日、市町村長には住民票の作成が義務づけられているが、住民基本台帳が徴兵制導入のための準備である、などと主張するバカはいない。住民登録が開始されて60年以上を経過しているが、この制度によって徴兵制が導入される事など、一度もなかった。

共産党が住民登録に反対した本音は不明だ。表向きは徴兵制反対が理由なのだが、あまりにも突飛すぎて本当の理由とは考えにくい。当時共産党は在日朝鮮人社会と一体と言って良い動きをしていたので、住民登録により密入国者や朝鮮人犯罪者が不利になる事を恐れていたのだろう。

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その後、各省庁バラバラの個人ID情報を共通化しようとする共通番号制度が検討され佐藤内閣の時代に導入されようとしたが、国民総背番号制という名前がつけられ、実現はされなかった。左翼はその時でも徴兵制につながると主張していた。

最近になってマイナンバー制度の法制度整備が進んだが、徴兵制が特に取り上げられる事はなかった。さすがの左翼も徴兵制につながるという論理のバカバカしさでは反対意見に理解を得られないと思ったのであろう。

そもそも、住民登録法やその後の住民基本台帳制度が徴兵制を意図しているものではない事は自明の事である。60年以上前に徴兵制だの戦争動員だの大騒ぎした制度であるが、結局のところ徴兵制が導入される事はなかった。ただ、それらの制度は国内で外国人、特に在日朝鮮人・韓国人や中国人が日本人になりすまして工作活動を行なう際にはある程度支障となる事は確かだ。

一方、今年になって集団的自衛権の行使容認に関する議論の際には徴兵制導入の不安を煽る事に左翼は成功した。徴兵制導入というキーワードの威力を知った左翼は、今後とも地下活動に不利となるような法律・制度に対しては徴兵制を利用する事になるだろう。

朝日新聞 昭和27年社説 『在日朝鮮人をめぐる諸問題』

前回の東京新聞の昭和27年5月17日社説に続き、朝日新聞の昭和27年7月17日社説を引用する。コメントは後日。

治安閣僚懇談会では、最近大都市に続発する騒乱事件と、これに深い関連をもっている一部在日朝鮮人の問題を討議したといわれるが、国警や特審局などの治安当局は、治安を乱すような朝鮮人を適当な方法で隔離すべしとの意向を持ち、強制送還に関する韓国との話合いがつくまで、日本側で強制収容所を設ける必要がある旨を、政府に対し強く要望したと伝えられる。

日本人であると朝鮮人であるとを問わず、日本国内に居住しながら治安を乱すものに対しては、法のしゅん厳なる発動をみるべきことは当然であるが、治安当局の要望している強制隔離の措置は、在日朝鮮人のうち法に触れたいわゆる「望ましからざる朝鮮人」を本国へ送還するまでの過渡的な措置を講じようとするものと思われる。このような強制措置をはたして政府が実行するかどうかは不明であるが、治安当局がかかる措置を実行せざるを得ない事態であると考えていることは、察するに難くない.

在日朝鮮人をめぐる問題は、今日多くの困難をはらんでいる。それは正直にいって、日本にとっても悩みの種である。第一には、朝鮮が南北に分れて今なお戦っており、共産軍対国連軍の戦闘は、休戦協定の妥結にすら達していないのである。北鮮系の在日朝鮮人が祖国防衛の名の元に実力行使に訴えようとする動機は、恐らくこの辺からも発してはいようが、彼らの行動が、この日本において起され、現実に日本の秩序を乱すことは、われわれにとっては言うまでもなく迷惑至極なことである。如何なる理由に出るにせよ、日本国内の秩序破壊の行動に対して断固たる措置を講ぜざるをえないのは当然のことである。

第二に、朝鮮動乱が解決せず、かつは朝鮮の統一が成らない間は、われわれはまず韓国との間に国際関係を取結ばざるをえない。昨秋以来東京で開催された日韓会談では、在日朝鮮人の国籍問題を初め、永久居住権の承認、鉱業権の存続、不法外国人の強制退去の適用、漁業条約や通商航海条約の締結などについて交渉を進めてきたが、在朝鮮の日本人財産の返済問題で壁に突当ったまま、今日では決裂状態になっている。したがって日本と韓国の間には、未だに正常な国際関係が成立するには至ってはいないのである。そこで日本側が出入国管理令に基き、密入国者を強制送還するに際して、「望ましからぬ人物」を合せて送還してみても、韓国側はこれを拒絶して受取らぬのである。日韓会談が妥結しない限りは、強制措置に関する最終的な解決には到達しなわけである。

第三に、在日朝鮮人の経済的基盤が次第に崩れようとしつつある現実である。さきに全国知事会に集った七知事の意見として、去る十一日付の本誌が伝えるところによれば、これらの知事は一様に朝鮮人問題に関する政府の対等樹立を要望しつつ左の如く語っている。「在日朝鮮人の問題についてこの人達がいま一定の職をもつことが難しい事情にあることや、帰りたいと思う故国は南北に分裂し、戦火に見舞われているという気の毒な状態に置かれていることを私達はまず考えてみなければならない。政府も府県や市町村も彼らに職を与えようという配慮をもっとすべきではないか。もっとも在日朝鮮人のなかの極左的な人達とそうでない人との区別はなかなか難しいし、さらに職を与えるにしても地方では失業者がだんだん多くなっている実績から思うように進まないことも事実である」。このように、日本国民自身が困難している中での在日朝鮮人の経済問題であるが、ともかくかかる経済的な困難が横たわっていることも明記しておかなければならない。

一衣帯水の間におかれている日鮮両国は、歴史的に極めて密接な関係にあり、余りにも密接な関係におかれているからこそ、今日のような困難な問題も生じているわけである。問題の解決は、根本的には朝鮮動乱の解決、日韓両国間の国交の回復をまたなければならないが、それまでの過渡的な時期にわたっても、われわれは、日鮮両民族の永遠の善隣友好関係を希望するが故に、極力、紛争の種をまくことを回避したいのである。一部の在日朝鮮人が、いかなる理由であれ、日本国内の法秩序を無視し、直接行動や暴力行為に訴えることは、両国人間の友好関係の持続を念願する見地からしても、憂うべく悲しむべき現象といわねばならない。それは善良なる在日朝鮮人にとっても、はなはだ迷惑に相違ない。治安当局が目論む強制隔離というような非常措置を不要なれしめるよう、一部の過激な分子の自覚と猛省とを、まず求めてやまない次第である。