LINE報道に見る既成メディアの強力な世論形成能力

LINEについての報道が国会にまで影響し、政府が調査を開始するという所まで騒ぎになっている。LINEの個人情報に中国企業がアクセスし、また全データが韓国のサーバーに保存されているという報道を受けての動きだ。

LINEが韓国支配の企業であり、膨大な個人情報が韓国の手に握られているというのは数年前から指摘されていた事であり、今更驚く事ではない。多くの日本人が、韓国企業と知って利用していたはずだし、ネットでは常識の話だったからだ。このため個人的には今回の報道にはニュース価値は無いと思っていた。

ところが今回の報道は大きな反響を呼んだ。何故かというと、朝日新聞の記事がさも大スクープのような書き方であり、LINEのリスクを承知して利用している人達にも驚きを感じさせるような記事だったからだ。要するに既成メディアの世論に与える影響力が、ネットよりも桁違いに大きかったという事だ。

そもそも海外のサーバーにデータが保存されていると言えば、GoogleやFacebookなども同様である。それでも米国企業の場合、トランプ政権と対立したり、政府によるIT規制や個人情報アクセスに公然と反対したりなど、民主主義国である事に由来する安心感がある。これは政府と国民が一丸となって反日活動する韓国企業とは信頼性において大きな差があり、しかも今の韓国はとても自由主義陣営とは思えない赤化独裁への傾向を強めているのだ。それでも今回の報道まで、日本人はLINEを使う事に抵抗がなかったのである。

安倍政権時代、左派メディアの執拗な偏向報道でも政権支持の世論を崩せなかったのは、ネットの影響力が既成メディアのそれを上回っていた、と思っていた時期があったが、それは幻想であった。安倍政権が安定していたのは、ネットの力ではなく、安倍首相の実力であり、民主党時代への拒絶反応であり、またメディアの無理筋な報道姿勢が原因だったのだ。

さて、最近では中華系のアプリが急成長し、ビジネスだけではなくゲームの世界でも多くの日本人が利用している。まして韓国企業なら抵抗もないのだろう。今回の報道をきっかけに韓国と関連するサービスの危険性が認知されるようになれば良いが、はたしてどうだろうか。

ウイグル問題を素通りする日本人リベラル派の意図

中国共産党によるウイグル民族弾圧に対し、欧米諸国から非難の声があがる中、日本のリベラルと称する人達からの意見表明が低調である。理由は二つあり、一つは反日のため、一つは親中のためである。

第一の理由であるが、日本が人権後進国であると主張したい反日傾向のあるリベラル派からすると、海外の人権問題が注目されるのは面白くない。特にウイグル問題と比較すると相対的に日本国内の人権問題は小さ過ぎるからだ。

第二の理由であるが、親中派が中国に不利な話はしたくないという単純な話ではなく、より狡猾な意図が隠されている。結論から言うと、日本国内のウイグル人を日本人「右翼」と結びつける事で、ウイグル問題で中国批判する者を極右としてレッテル貼りする事を目指しているのだ。

これを裏付ける記事がある。文春オンラインの2018/11/13の記事に、『日本で「ウイグル問題を報じづらい」3つの深刻な理由(安田 峰俊)』というのがある。この中で、日本国内のウイグル人が反中右翼勢力に取り込まれている事が、「ウイグル問題を報じづらい」理由の一つとされている。「チャンネル桜」が悪い、という理屈である。

そもそも日本国内でウイグル人活動家が保守系の団体に頼らざるを得ない状況になったのは、歴史的に左翼が中国共産党に忖度してきたからだ。チベット問題も同様である。

日本のリベラル派が、弾圧に苦しんでいるウイグル人を本当に支援したいなら、「右翼」からウイグル人活動家を引き離し、自分達の支援組織に取り込むくらいの事は出来るはずだ。国会前デモの動員力を見れば、リベラル派がその気になれば難しい事ではないだろう。

しかしながら、それは起きない。中国共産党による人権弾圧を素通りし、日本国内にいるウイグルやチベットの活動家などを無視する事で、彼等活動家を「右翼勢力」の側につかせ、「右翼勢力」の失言や過激行動を待ち、中国共産党を批判するウイグル人やチベット人を貶める機会を待つ事がリベラル派の意図だからである。

問題が深刻なのは、いわゆる左翼だけではなく、自民党の親中派にも同じ動機がある事であり、面倒な保守派を切り捨てるため、あえて中国共産党による民族浄化政策を放置しているのである。

ちなみに日本共産党がウイグル問題については積極的に発言している理由は、中国共産党への忖度がないからである。逆に言うと、日本国内の自称リベラルは中国共産党と何らかの繋りがあるという事である。

南アで続く白人農家襲撃とBlack Lives Matter問題

南アフリカでは1990年代から今日に至るまで農家襲撃事件が社会問題として続いている。90年代後半から2000年代前半にかけて頻発した。昨年(2019)には552件の襲撃事件が発生し、そのうち殺人は52件であった。襲撃の内容は、暴力、殺害、強姦をともなう強盗である。

南アでは歴史的に農場を保有する農家は白人が大半を占める。このため南アの農家襲撃事件とは、黒人が加害者で白人が被害者という構図になっている。アパルトヘイト廃止と1994年に成立した黒人政権成立以降、少数派でありながら裕福な白人層が黒人に狙われているのだ。

この問題は、欧米の白人達の間で取り上げられるようになったが、リベラル派は即座に対応し、南アで農業経営する白人が黒人に殺されているという話をする者を白人至上主義者呼ばわりし、「ファクトチェック」と称して人種は農家襲撃事件とは無関係と主張するようになった。

農家襲撃事件の被害者には黒人農場主も存在するし、そもそも農家襲撃に関して南アは人種別の統計を取っていない。だから人種差別は動機ではなく、強盗が目的だ、というのがリベラル派の主張のようだ。

確かに南アの犯罪は元々凶悪であり、人種的憎悪があろうがなかろうが残虐なやり方で強盗するのが普通なのだろう。たまたま裕福な農家には白人が多いというだけかもしれない。

しかし、この論法は立場が逆な場合は全く通用しない。白人が黒人を殺害した場合、それはすぐに人種差別が原因と主張され、デモ隊により糾弾され、人種差別はやめましょうという反省文や声明文が白人社会から出てくるのだ。

ハム(カナン)の呪い、聖書と黒人差別と自虐史観

 

BLMが破壊するリベラルな言論空間

現在、アメリカで進行中のBlack Lives Matter (BLM)運動は、一部の識者に文化大革命と例えられる程までに過激化している。もちろん大量虐殺をともなった文化大革命とBLMとを同一視するわけではなく、紅衛兵によるブルジョワ殲滅・伝統文化破壊の嵐が、BLM活動家による白人糾弾・偉人像破壊の運動に通じるのである。

ハム(カナン)の呪い、聖書と黒人差別と自虐史観

BLMは米国のあらゆる個人・集団・組織に黒人尊重という価値観への同意を強制するものであり、わずかでも人種差別であるとBLM側が判断する者に対しては徹底して攻撃する事で人々を萎縮させている。差別をしているわけでもないのに、BLMに共感する声明を出さないというだけで人種差別主義者扱いされる風潮なのだ。

そのような中で、米国の言論界はちょっとした発言で糾弾されており、それには以下のような形態がある。

  • 議論を呼ぶ内容を掲載したとして編集者が解雇される
  • 内容が不正確という指摘で書籍が回収される
  • ジャーナリストが特定の記事を書くことを妨害される
  • 教授が授業で文学作品を引用したことで調査される
  • 研究者が学術研究のピアレビューを回覧して解雇される
  • 組織の責任者がわずかなミスを理由に追い出される

これらの事例は、反トランプ派の学者達が連名で出したレターに記載されているものである。

A Letter on Justice and Open Debate

この学者達はBLM運動に賛同するリベラル派であるが、一方で現実に起きている事に対して危機感を抱き、上記の声明を出した。リベラルな言論空間というのは、本来は自由な発言を認めたうえで議論を戦わせるものだ。BLMというリベラルには好ましいはずの動きが、現実にはリベラルの理念に反しているという状況に、反トランプ派も疑問を持っているのである。

過激化するリベラル運動から脱落する穏健派リベラル

アメリカでは赤狩りの歴史もあった。日本でも平成初期の頃までは戦後左翼による言論空間の支配が強力であり、今でも時折特定のテーマで言論封殺するケースもある事は注意しておくべきであろう。

ハム(カナン)の呪い、聖書と黒人差別と自虐史観

ノアの方舟で有名なノアにはセム、ハム、ヤペテという名の3人の息子がいた。ある時、ハムの失態を理由に、ノアはハムの子であるカナンに対し、「下僕の下僕となれ」と呪った。聖書の創世記第9章の記述である。

呪いの内容は、カナンの父ハムが犯した罪のため、その子カナンの子孫が代々セム、ヤペテの子孫の奴隷となるべしと解釈されている。ハムの一族が北アフリカ諸民族の祖と見なされている事から黒人は先祖が犯した罪のために代々奴隷の身分であるという伝説が成立し、奴隷制時代の米国では「ハムの呪い」は黒人奴隷を正当化する根拠として語られていた。

先祖が犯した罪のため子々孫々まで呪われるという話は、キリスト教の根幹である原罪という思想に通じるところがある。様々な解釈はあるが、一般的にはアダムとイブが犯した罪を人類が引き継いでいるというもので、先祖の罪は子孫にまで及ぶという思想がキリスト教社会の倫理観に大きく影響していると言って良いだろう。

現在アメリカを席巻しているBlack Lives Matter運動は過激化の程度を強め、南北戦争の英雄達や建国の偉人達を非難し、奴隷貿易によって国家が成立したアメリカという存在そのものやアメリカ大陸の発見そのものを罪と主張するに至っている。そして現代を生きる非黒人に対して「黒人の命は大事」というプロパガンダへの服従を強要しているのだ。

つまり、かつて黒人の奴隷化を正当化するために利用していた論理と同じ論理でもって白人社会に対して贖罪を要求しているのである。しかし大きな違いがある。それは後者を煽っているのは黒人だけではなく、多くの白人も参加しているという点だ。

「ハムの呪い」は白人の世界だけの理屈であったが、奴隷性あるいはアメリカ発見という「罪」は白人自身に向けられた自虐史観である。キリスト教社会に長く深く根付いた「先祖の罪を逃れられない子孫」という思想は、自虐史観の強制という形でキリスト教社会そのものを蝕む要素になっているのである。