ごく平均的な韓国人が、あたりまえのように反日感情を持つ

釜山の市長選が日本でも話題になっているが、例によって相手候補がどれだけ親日であるかというのが、選挙戦の攻撃材料となっているようだ。対馬が見えるマンションを保有しているからあいつは親日だ。いや、日本に不動産を持っているお前こそ親日だ。という具合に、対立候補に親日レッテルを貼る事が選挙に勝つには必要である。

選挙では有権者の関心を強く惹く争点を掲げるものである。親日か反日かを話題にしているのは、政治家という人達が特異な存在だからではなく、有権者にとって重要な判断材料だからである。そして有権者とは、どこにでもいる普通の韓国人の事だ。

それでも反日は一部の人達であって、多くの韓国人とは人と人との交流が出来る、韓国でも「鬼滅の刃」がヒットするなど、日本文化を受け入れられている、と言う人がいる。しかし日本文化に接する事と、親日である事は無関係である。米帝国主義と闘争している左翼もハリウッド映画を見ているし、マクドナルドで食事はするだろう。アメリカ嫌いのイスラム教国の人達や反米ロシア人も同じだ。嫌韓右翼もビビンバは食べる。本来、人間というのは他国の文化にどれだけ触れようとも心の芯にある愛国心は揺がない。

最近ではYoutubeなどで日本文化に魅了された外国人を紹介する日本スゴイ記事が多いが、外国の文化を賞賛できるのは、実は自国の文化に誇りがあり、愛国心にぶれが無い人々である。つまり、日本の映画を見ているからと言って、国益が衝突するテーマまで日本の応援をするわけではない。

そもそも韓国で鬼滅の刃が上映されたのは、韓国人が旭日旗に難癖をつけ、日本側が屈服してデザインを変更した後であり、彼等からすれば旭日旗を悪と見做す前例を蓄積したという余裕があったからだ。

韓国のニュースでは強烈な反日発言をする政治家が登場する。くどいようだが、これは善良な、どこにでもいる韓国人の平均的な思想を反映している結果である。NO JAPAN運動は政府や反日活動家の扇動ではなく、普通の韓国国民が参加した運動であった。

共産党の公明党批判に反論できない自民党

1989年、東欧革命の年であり、天安門事件の発生以降、日本共産党は厳しい立場にあり、選挙では公明党から揶揄されていた。その反撃として6月26日の赤旗新聞に掲載したのが以下の記事である。

公明党の竹入委員長が初訪中したのは七一年六月。そのさい訪中団歓迎会で竹入委員長は、次のように毛沢東を絶賛しました。

「偉大なる毛沢東主席の指導のもとに、偉大なる国家の建設を目の当たり見、また、清潔な環境と、活気あふれる中国人民の実情に接して、まことに深くいたく感銘を受けました。ここに心からの敬愛の序をささげるものであります」(「公明新聞」七一年六月二十日付)。

「マルクス・レーニン主義の上に毛沢東主義によって完成された中国の民衆は、喜んで働き、そして明るく建設の息吹きに燃えていた」(訪中座談会での竹入発言、「公明新聞」七一年七月十八日付)

創価学会が習近平来日を熱望するなど、公明党が中国共産党の人権弾圧を批判する事があり得ない事は明白なのだが、天敵の共産党が指摘するとなると、持っている情報量が違う。しかし「公明党は毛沢東を礼賛している」として出した証拠は1971年の出来事であり、天安門事件の1989年の事だ。その時期、当時の自民党や公明党が天安門事件に対して中国には大きな抗議をせず、日本共産党を攻撃する材料として使っただけであり、あっさりと天皇訪中を実現させてしまったのだ。

中国共産党のウイグル人弾圧は、自民党と公明党が過去数十年にわたって続けてきた媚中路線の結果である。公明党による毛沢東礼賛の歴史に言及する事は、そのまま自民党による親中政策の歴史を掘り返す事になるのである。たとえ二階俊博が引退しようが、中国共産党関係で皮肉の対象になる自民党議員はいくらでも見つかるし、薮蛇になるから自民党はこの件では黙っていた方が良いだろう。

【属国論争】日本が百済と新羅を属国にした空白の4世紀

空白の4世紀と呼ばれる時代、日本は朝鮮半島で軍事行動を繰り返し、百済と新羅を属国としていた。

西暦300年代(4世紀)は、中国の歴史書に倭の記載がなく、空白の4世紀と呼ばれている。正確には邪馬台国の記述(266年)から晋書(413年)までの期間である。しかし、この時期は朝鮮側の史料である「三国史記」と好太王碑に倭の記載があり、何よりも「日本書紀」に詳細な記載がある。

さて、朝鮮側の史料である三国史記と好太王碑によれば、

  • 【好太王碑】391年、新羅・百済は高句麗の属民であったが、倭が百済・加羅・新羅を破り、臣民とした。
  • 【百済本紀】397年、阿莘王、太子の腆支を人質として倭に送る(六年夏五月。王與倭國結好。以太子腆支爲質)
  • 【好太王碑】399年、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。
  • 【新羅本紀】402年、奈勿王、未斯欣を人質として倭に送る(元年三月。與倭國通好。以奈勿王子未斯欣爲質)

三国史記では、倭が新羅を攻めたという記述が非常に多く、朝鮮半島南部を巡る利権争いが数世紀にわたって継続していた事を示している。

ただし、西暦300年の前半は婚姻関係を結び休戦状態にあった。その後、新たな婚姻を巡って関係が悪化し、345年に日本側から国交を断絶する(三国史記の記載より)。その後、4世紀後半を通して日本は新羅との戦争を繰り返し、上述したように西暦391年から400年代初めに新羅と百済を破り、属国とした。

空白の4世紀は、晋が滅亡し、高句麗が楽浪郡を滅ぼすなど、朝鮮半島における漢民族の影響力が減退した時期であり、倭と高句麗が覇権を競った時代だったのであろう。

百済と新羅を属国とした日本は、5世紀を通して、その地位の確定を求め、東晋・南宋・南済・梁と交代していく中華王朝への朝貢を繰り返し、高句麗と百済を除く朝鮮半島南部(六国)の将軍号を得た。

一方、高句麗が百済を滅ぼし、新羅が国力を増大させるなど、5世紀後半には日本の影響力は低下していったと思われる。6世紀の前半には任那を喪失し、その後は百済滅亡まで日本と百済・新羅の外交は歴史に登場しなくなる。

百済と新羅が、それぞれどの程度の期間日本の属国であったかは不明である。しかし日本の立場からすれば、形式的には両国を属国と見做し、涙ぐましい外交努力をしていた事が伺える。その意味で日本書紀における百済・新羅の記述は創作ではなく、日本側の立場を正しく描写したものであろう。

ところで「属国」とは何であろうか。朝貢関係で属国と言うなら、日本は中華王朝の属国であった。支配の程度で決定する場合、古代史の情報量では属国判定は出来ない。しかし王子を人質に送っていた事を基準にすれば、新羅は間違いなく日本の属国だったのである。

夫婦別姓は名字廃止と同じ

夫婦別姓とは、東京都千代田区を神奈川県千代田区と呼ぶようなものである。

姓(Family name)は家族を識別する呼称であり、名(Given name)は家族内で個人を識別する呼称だ。姓と名の組み合わせで本人を特定する名前となる。

姓は、苗字、名字、氏、などと言われるように日本の歴史では微妙に異なる役割を果してきた。姓は元来役職名であり、氏は朝廷が血縁による同族集団に与えた名称である。時代が下り、同族集団は分割され、次男以降は分家を始祖とする新たな一族が形成され、名字が数代前から継続する一族を示す名称となった。ただし、名(Given name)の上につけるものは、氏・姓(かばね)、屋号、通称、官名などを組み合わせたものが利用され、襲名の文化もあり、個人を特定する機能として名前は多様であった。

明治時代になり、全国民に苗字が許され、その後義務化されたが、当初は血統主義の観点から結婚後も女子は先祖の苗字を継続使用する事が義務づけられる。一方、家族単位で同一のFamily nameを持つ西欧思想の流入と、血統主義から世帯主義への転換により、家族単位で苗字が定められるようになった。ようやく様々な機能を持っていた名字の意義が一本化されたのである。

さて、夫婦別姓は、中華圏で一般的であるように元来は血統主義思想に基づくものである。一方で現代の夫婦別姓主張に血統主義思想はないと思われるが、その場合は名(Given name)の前に読まれる名字とは一体何の意味があるのだろうか。夫婦の名字が違う以上、それは家族につけられた名称ではない。

先祖伝来の大切な名字だから改姓したくない、というのは血統主義である。珠世さんが金さんと結婚して都合が悪い、というなら適切な名字に改姓すれば良い。ペンネームやら通称やらが許容されているから、改姓が仕事の継続に不利という理屈は成立しない。

夫婦別姓により、名字が家族を示す名称を意味しないとなると、名字の存在意義な何になるだろう。それは単に下の名前だけだと日本語として格好悪いから、上の名前として置く、というような表現の問題である。

伝統だから、社会生活に名字は必要だから、パスポートにFamily nameを記載する欄があるから、というのは本質的ではない。というのは一旦夫婦別姓を認めれば、そもそも原理的には姓など不要であり、個人を特定するための名前が一つあれば良いという結論になり、現代社会で構築された姓の存在を前提とした制度自体がやがて変革の必要性に直面するからだ。

夫婦別姓では、山田花子は山田(姓)+花子(名)ではなく、山田花子という単一の名称となる。役割を失った名字は廃止され、やがて太郎や次郎だけが名前となり、左翼が毛嫌いする世帯単位での行政は消え、個人が直接国家に所属するSFの世界が実現するようになるだろう。

ゴーストオブツシマの映画化には反対だ

ソニー・インタラクティブエンタテイメントという、長い名前の会社が、昨年発売されたゲーム「Ghost of Tsushima」を映画化すると発表した。アメリカの映画となる予定だ。私はこのゲームの映画化には大きな不安を感じており、率直に言って大反対である。

理由は以下の通りだ。

  • 元寇の残虐性を描く事により、友好国であるモンゴルとの関係が悪化する
  • 日本人気の嫉妬に発狂した韓国による反日行動が活発化する
  • Ghost of Tsushimaのサムライ観は武士道を歪めて伝えている
  • 日本の歴史ドラマが米国ポリコレに汚染される

以下、説明する。

元寇の残虐性を描く事により、友好国であるモンゴルとの関係が悪化する

史実ではモンゴル軍による残虐な行為があった事は事実であるが、ゲームではその残虐性が強調されている。これは主人公が掟に背いた行動をする上で必要な背景となっているのだが、モンゴル人の立場からは不愉快な設定であろう。現在、モンゴルと日本の間は特に感情的な対立はないが、映画を契機に不毛な論争が発生する可能性は否定できない。またアジア人ヘイトが話題となっている中、現代版の黄禍論が復活するような事になれば大問題だ。

日本人気の嫉妬に発狂した韓国による反日行動が活発化する

海外の有名人が和服を着ると「文化の盗用(Cultural appropriation)」だ、アジア人差別をやめろ、と騒ぐ連中がいる。差別反対のリベラルを装ってはいるが、実は日本の文化が海外で注目される事が嫌で仕方ない韓国人である。ゴーストオブツシマの映画で日本文化が海外で人気になると、韓国人が嫉妬で日本ヘイトの活動を展開してくる事は容易に予想できる。

おそらく、韓国は文化コンテンツで対抗してくるだろう。韓流ドラマやゲームで日本を悪者にする作品を創作し、反日宣伝を活発化させる他、「文化の盗用」論理で映画を非難すると予想される。映画の制作過程の段階から様々な介入もするだろう。そして冗談抜きで対馬は韓国領だという宣伝も忘れないだろう。

Ghost of Tsushimaのサムライ観は武士道を歪めて伝えている

このゲームは主人公の境井仁が対馬の民を救うため、武士の誉れを捨て、闇討ちや毒殺などを使う暗黒面に落ちる事が重要な設定となっている。しかしこれは武士道の間違った解釈に基づくものであり、サムライの本当の姿が歪められている。

平安時代の武将、源頼光は毒の入った酒を飲ませて酒呑童子を討った。神話の世界では、スサノオノミコトがヤマタノオロチを討つ前に酒で酔い潰している。木曽義仲は平家軍との戦で牛を使ったし、源義経も奇襲を得意としていた。正々堂々と正面から戦うというのは武士の誉れでも何でもなく、どんな手を使ってでも戦に勝利する事こそが名誉なのである。そもそも元寇でサムライは小舟に乗ってモンゴルの船団に夜襲攻撃を仕掛けていたのだ。

武士が名乗りを挙げて一騎打ちのような戦いをしていたのは、手柄を明確にし、恩賞を得るためである。ところがゲームでのサムライ達は誉れに拘る間抜けな田舎侍であり、間違ったステレオタイプを描いている。ゴーストオブツシマの世界観では源頼光はじめ日本人にとっての英雄が卑劣な存在となってしまうのだ。

日本の歴史ドラマが米国ポリコレに汚染される

現代のアメリカ映画界はポリコレに汚染されており、米国人が日本人やモンゴル人を描くのは相当に面倒な話に巻き込まれそうである。アメリカのアニメ業界では、アジア人や黒人の登場人物に白人の声優を採用しただけで猛批判を浴びるのだ。

映画にどの程度のファンタジー要素を入れるのか不明であるが、多様性重視のために相当異質な内容になるのではないだろうか。ゲーム開発会社は黒澤映画を尊重したらしいが、七人の侍をリメイクした最近の西部劇では当時奴隷だった黒人がガンマンとして活躍する映画となった。鎌倉時代のサムライも、白人リベラルのポリコレ的ステレオタイプとして、現代的な偏見を生み出す事になるのだろう。